表紙へ戻る
街道松 甲州街道 道中記 街道松
街道地図
(19) 野田尻宿  今日は高速道路のサービスエリアで昼食です
現甲州街道(国道20号)とは大きく離れた山間の宿場で戸数290余と ここも小さな宿場であった。
明治19年
(1886)の大火で本陣を含む殆どの建物が焼失し往時の面影は失われたが、それでも
宿場町の雰囲気が残る街道である。

 平成18年10月10日

長峰砦跡碑長峰砦跡碑

中央高速道を右に見ながら坂を下ってくると「長峰砦跡」(左)の小さな公園にたどり着く。
ここは甲斐国を北条の侵略から守る為の出城が築かれた場所。江戸時代に入ると砦は無くなったが傍らの山道が多くの旅人が行き交った甲州道中となった。

ところが中央高速の建設で砦跡は破壊。せめて砦があったことを後世に伝えようと設置されたのが「長峰砦跡碑」(右)。


中央高速の建設中に発見された芭蕉句碑これより野田尻宿の看板

中央高速の建設中に甲州道中の傍らに埋もれていた「芭蕉句碑」(左)という思わぬ物を発見。
碑に刻まれている句は芭蕉と、蕉門十哲の一人獅子庵支考の句。
    古池や 蛙飛びこむ 水の音    芭蕉
    あがりては さがりてあけては 夕雲雀   連二房(支考)

中央高速の側道坂道を上って行くと「これより野田尻宿」(右)の看板があるので、右へ。
  


野田尻宿の町並み古民家

右に曲がり中央高速を横断して坂道を下ると農村の風景が広がり、さらにその先に「野田尻宿の町並み」(左)が続いている。山間の集落にしては広い道の両側の家は大火の影響か古民家などは見られない。 

車がほとんど通らない静かな街道の両側の家は新しくもなく、古くもなく、門と塀でしっかり囲われているわけでもなく、ゆるやかな雰囲気は石坂洋次郎の小説に登場しそうな。
  


野田尻宿明治天皇小休止址碑野田尻宿碑

町並みの中程の広場前に「明治天皇小休止址碑」(左)が建てられている。 ということは本陣が有った場所ということになるが明治の大火で焼失し今は何も無い。脇本陣はその隣にあった。 

向かい側に鶴川宿にもあった同じ形の「野田尻宿碑」(右)が。この碑は写真に見えるお宅の御主人らが尽力して甲州街道を旅する人の記念になるものをと「鶴川・野田尻・犬目」の三宿に建てたも。


お玉ケ井碑西光寺門前

街道の外れにある「西光寺」の手前に「お玉ケ井碑」(左)がある「お玉ケ井」にはハッピーエンドの伝説が。
旅籠で働く美しい女中お玉(こういう時は必ず美しい) 、念願の恋が実ったお礼にと水不足で悩む野田尻宿の一角に澄んだ水をこんこんと湧き出させたという。 なんと、お玉は竜の化身で長峰の池の竜神と結ばれたのだった。

「西光寺門前」(右)は大変な賑わいだ。階段脇に観音様、地蔵様、道祖神にカエルまで。本当に賑やかなことだ。
道路は門前で右と左に分かれる。


旧甲州街道を旅する人のための石畳風歩道橋杉林の旧甲州街道山道

旧甲州街道は右に曲がり坂道を上って行くのだが上り切った所が中央高速の上。「石畳風の歩道橋」(左)が架けられている。この先に人家は無いので まさに旧甲州街道を旅する人のための歩道橋。 

歩道橋の先は砂利道となり、さらにその先は「杉林の山道」(右)。江戸時代の甲州道中もかくや、と思える風景だ。がそれも束の間、すぐにアスファルトの道に合流してしまう。 残念!
  


荻野富士講碑荻野一里塚跡説明板

アスファルト道に合流して右に曲がった先の立派な台座上の石碑は「荻野富士講碑」(左)。 明治初期のものだそうだが刻まれている文字は「嶽 大先達白倉宝行」。

富士講碑から数分歩くと一里塚跡標柱と説明板が設置されているが、ここは「荻野一里塚跡」(右)。東海道の一里塚にはエノキが植えられることが多かったが この一里塚には松が植えられていた。この先は緩い下り坂で坦々とした道が続く。


犬目宿入り口

しばらく歩き、中央高速道に沿うように進み高速道路の横断橋(矢坪橋)を渡れば犬目宿へ行かれるのだが、ここで昼食と休憩を取ろうと真っ直ぐ行くことにした。実は、数分歩くと 中央高速・談合坂サービスエリア に自由に入ることが出来る。
高速道路のサービスエリアにリュックを背負って歩く姿は似合わないのか奇異な目で見る人がいたが、まっいいか。気にしない気にしない。

矢坪橋まで戻り次の宿場・犬目宿へ向かうのだが途中に 座頭転が し という怖い場所が有るそうだ。いったいどんな場所だろうか。

 前の宿場鶴川宿へ   次の宿場犬目宿へ   表紙へ戻る