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街道松 甲州街道 道中記 街道松
街道地図
(39) 韮崎宿後半  甘い計画のため、七里岩絶壁を登る羽目に
韮崎宿は富士川水運の終点に当たるため海産物の陸揚げ、年貢米の積み出しなど物資の集散地として賑わった宿場であった。
一方、本陣跡碑の側面説明書きによると「諸大名の通過は有ったが日程の関係で宿泊はごくわずか。そのため本陣は問屋の
兼務であった」とある。
この宿場の特徴は家が道路に対して斜め
(鋸歯状)に建てられていたことで、今でもその面影が僅かだが残っている。

 平成18年12月28日

ここから韮崎市電線の無い町並み

塩川橋を渡ると韮崎市。旧甲州街道は橋を渡ってすぐに右へ曲がり15分ほど歩くと韮崎宿。今宿交差点まで来ると韮崎宿の特徴であった「道路に対して斜めに建つ家」が何軒か見られる。

交差点の先は「電線の無い町並み」(右)が続くが、なんと、ピントがピッタッと合ったように空がすっきりと見える。電柱と電線が無いと空気に透明感が増して しかも町並みが綺麗に見えるから不思議だ。


井筒屋醤油店一橋陣屋跡今宿の交差点を過ぎて最初に写真に撮りたくなる建物が「井筒屋醤油店」(左)。さぞ老舗かと思いきや昭和5年(1930)創業というから一世紀にはとどかない。しかしこだわりの味噌・醤油は絶品の味だとか。

井筒屋のちょっと先、茅野眼科医院の手前を右に入ると突き当たりに石碑と説明板が建てられているがここは「一橋陣屋跡」(右)。建物があった場所は公園になっており疲れた足を休めるのに丁度良い。
  


韮崎宿本陣跡碑馬つなぎ石

街道に戻ると茅野眼科医院の前に「韮崎宿本陣の跡」(左)と刻まれた石碑が建てられている。冒頭にも記したが ここは問屋が兼務する本陣だが宿泊する大名はほとんど無かったようだ。甲州街道を利用する大名は高島藩・高遠藩・飯田藩だけであったため本陣の稼働率は役人の宿泊を含めても低かった。

数分先の郵便ポストの後ろにあったのは「馬つなぎ石」(右)。東海道では 馬つなぎ環 だったが韮崎宿は石だった。
   


窟観音堂小林一三翁生家跡馬つなぎ石の数分先、雲岸寺参道を入ると崖からせり出している建物が見えるが ここは「窟観音堂」(左)。天長5年(828)、空海(弘法大師)が観音石仏を洞窟に安置したのが始まりだとか。

街道に戻り左側に移ると文化村公園の一角に「小林一三翁生家跡」(右)と刻まれた石碑が。阪急グループの創業者であるが宝塚歌劇団の創始者として知る人が多い。


道路に斜めに建てた家平和観音像

文化村公園の先から韮崎宿特有の「道路に斜めに建てた家」(左)が何軒か見られる。しかし、その気になって見ないと通り過ぎてしまいそうだ。

この辺りから右手の山の上を見ると「平和観音像」(右)のお姿が。この山は七里28キロも続く七里岩のスタート地点。その先端に建てられた真っ白い観音様は青空によく映える。しかし「平和」という名前 ちょっと俗っぽいんだなー。 


水神宮十六石図十六石碑ところで、韮崎では「水神宮」(左)を時々見かけるがこの水神宮は国道20号に合流する三角地帯にあるもので、釜無川の氾濫に悩む村人が設置したもの。

国道20号に合流し数分歩くと 「十六石」(右)と刻まれた石碑が。武田信玄がまだ晴信と呼ばれていたころ、釜無川の堤防補強に巨大な石を並べたそうだ。どなたかが「十六石図」(右)を描いて掲示してくれている。  


一ツ谷の地蔵様球形道祖神

国道をしばらく歩くと一ツ谷という地区に入るが、ここの公民館の庭奥に「地蔵様」(左)が鎮座。それぞれの地蔵様の前にミカンが供えられているのが嬉しいね〜。

さらに10分ほど歩くと右に分かれる道があるがその手前の右奥に見えるのは「球形道祖神」(右)。いやー本当に色々あるものだ。


水難供養塔七里岩

旧甲州街道は再び国道20号と分かれて右に入って行くがその入り口の石碑は「水難供養塔」(左)。この辺りはかつては釜無川の氾濫との戦いが続いた地区で、多くの犠牲者が出たという。

平和観音の辺りから常に右側に見える「七里岩」(右)であったが、ようやく家が無く絶壁だけを写せる場所までたどりついた。垂直に切り立った断崖は長野県の蔦木宿まで続く。


南無阿弥陀佛碑道祖神などの石塔群一本道の旧甲州街道

国道と分かれて静かな街道を歩いていると突然「南無阿弥陀佛」(左)と刻まれた供養碑が。さらに先へ歩くと道祖神などの「石塔群」(左)も。

その先は国道の右側を延々と「一本道の旧甲州街道」(右)が続きやがて国道20号に合流。


川魚供養塔七里岩頂上からの景色黙々と国道を歩いていると田んぼの中に小さな石碑が。近づくと「川魚供養塔」(左)と刻まれている。なんだろうか? 碑の裏側に夕映渓流会という文字がある。釣り人が建てた供養塔だった。

帰りは中央線穴山駅からと計画していたがとんでもないことに。地図では街道から10分程のはずだが一向にそれらしくない。通り掛かった人に訪ねると、「あの山の向こう」だという。 絶句。 あの山とは七里岩絶壁のこと。

・・・・・・・・・ようやく頂上に着いたら「頂上からの景色」(右)が素晴らしい。  


雪の八ヶ岳

夕映えの富士山苦労した甲斐(今歩いている所も甲斐)があった。振り返ると「雪の八ヶ岳」(左)が真っ白にキラキラ光って、それはそれは綺麗なこと。

一方、南の方角には「夕映えの富士山」(右)が薄赤く染まっている。甲州街道を歩き始めて初めて見た富士山がこんなに綺麗に見えるとは幸せなことだ。

次の宿場・台ケ原宿まではまだまだ遠い。  
  

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