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(12)小山宿 街道地図
日本の歴史を決めた「小山評定」が行われた場所を見落としてしまった。残念
小山宿は小山城の城下町として発展し日光街道の中では比較的規模の大きな宿場であった。また石田三成挙兵を知った徳川家康が
本多忠勝・福島正則・山内一豊ら諸将を集めて軍議を開いた「小山評定」が行われた場所でもある。

 平成19年3月27日

長屋門街道沿いに巨木

日光街道は栗宮三叉路で国道4号と別れ直進していくのだが道は見渡す限り真っ直ぐ。
道路標識には「小山市街 3km」とある。3キロかー、遠いな〜

15分ほど歩いただろうか、立派な「長屋門」(左)が。特に云われがあるという門ではないが写真に撮りたくなった。
広い交差点の向こう 「街道沿いに巨木」(右)がそびえている。高い建物が無いこの辺では存在感がある巨木だが、この木にも云われは無い。 が、これも写真に撮りたくなった。


須賀神社参道鳥居須賀神社の七ツ石(夜泣き石)と説明板

なんとなく旧宿場町の雰囲気がある町並みに入ると「須賀神社鳥居」(左)の先に参道が彼方まで続いている。

猫の写真神社の手洗舎近くに「七ツ石(夜泣き石)(右)と呼ばれる大きな石がある。小山城が落城した際、結城城に接収された石だが夜中になるとしくしく泣き出したのだとか。

猫がいると写真に撮りたくなってしまうんだなー。


明治天皇行在所跡碑小山宿脇本陣の玄関


小山市街の中心地に近づくと「明治天皇行在所跡碑」(左)が道路際に建てられている。宿場の中心街もこの辺りだったのだろう。

跡碑の奥に見える立派な玄関は「脇本陣の玄関」(右)。素晴らしいが塀で囲われているので全容が見えないのが残念。


行在所跡碑の前に「小山宿通り」(左下)と記された標柱が立っているが、この辺りは昔の面影がほとんど感じられない。

小山宿通り小山評定跡碑と由来碑

少し歩くが小山市役所まで行くと「小山評定跡碑」(右)と「由来碑」(右)が見られる。
上杉景勝を討つべく小山まで来た徳川家康であったが石田三成の挙兵を知り急遽、諸将を集め軍義。 これが世にいう「小山評定」。家康はここでの諸将の進言を元に関ヶ原の合戦に臨んだのであった。

ところで、実際に評定が行われた場所はもう少し先の丘の上。 跡碑を見て満足してしまい評定が行われた場所を見落としてしまったのだ。


興法寺境内の十三層塔元禄11年(1698)創業の蛸屋総本店

街道に戻り小山駅前交差点から10分、興法寺の境内に建てられているのは石造りの「十三層塔」(左)。この塔は江戸の浅草寺に数百年間安置されていたのだという。故あって古河市の民家に移されたが寄進によりこの地へ安置。

興法寺の少し先に古民家風の造りをした和菓子店があるが、ここは元禄11年(1698)創業の「蛸屋総本店」(右)。
たこ壺最中がお勧め。和菓子店なのに蛸とは此れいかに。しかし和菓子店が何故「蛸屋」? 蛸屋さんのHPによると
仙台・広瀬川に面した和菓子屋が始まりと伝えられており、 時の仙台藩主から魚屋は魚屋らしくなく、菓子屋は菓子屋らしくなく、と命じられたことから蛸の看板を掲げたのが始まりで 後に栃木に拠点を移したのだとか。


蛸屋総本店の先は、またまた真っ直ぐな道が続く。かれこれ20分以上歩いただろうか。

地蔵菩薩道標ケヤキの古木

交差点先の歯科医院の脇道を入った奥の墓地に「地蔵菩薩道標」(左)が鎮座。
  コメント:歯科医院はツノダ物流という会社に変わっている。

台座部分の道標に「左日光海道」と刻まれているのが珍しい。元々主要道路は 海道 が使われていたが、海沿いでもない道に海道はおかしい、ということで亨保元年(1716)から〇〇道中に改められ明治以降は〇〇街道に。

街道の彼方に飛び抜けて背の高い木が3本見える。気になっていたが日枝神社参道の「ケヤキの古木」(右)であった。 樹高32mもある巨木で樹齢は400年だとか。

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