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(19)大沢宿 街道地図
日光杉並木道を堪能し、一里塚の上の「並木ホテル」も見てきました
大沢宿は戸数40余であるが、本陣1、脇本陣1、旅籠41軒とほとんど宿泊業務で成り立っていた宿場であった。
今の大沢宿には宿場町時代の面影が感じられないが今市宿までの間の日光杉並木がよく保存されているので
日光街道らしい街道歩きができる

 平成19年4月18日

日光街道杉並木杉並木寄進碑

桜並木が終わるとごく普通の国道が続くがやがて国道は大きく左に曲がっていく。旧日光街道は真っ直ぐ進みいよいよ「日光街道杉並木」(左)の登場。 車道と平行する杉並木道は昔のままの土の道。フワッとした足裏の感触がとても気持ちが良い。

しばらく土の感触を楽しんでいると車道の向こう側に「杉並木寄進碑」(右)が見える。 この石碑は松平正綱が杉並木を植栽し東照宮に寄進したことを記したもの。


王子神社の大銀杏杉並木

ほどなく先ほど分かれた国道に合流し大沢宿に入る。何度か大火に見舞われたため町並みに宿場時代の面影は少ない。当時をしのばせるのは「王子神社の大銀杏」(左)、推定樹齢200年ということなので宿場全盛時代を知っている唯一の生き証人?かもしれない。

街道は再び「杉並木」(右)。 が、今度は杉並木の間が車道となってしまったので並木の外を歩くという変なことになってしまった。


水無一里塚水無一里塚

並木の外をテクテクと歩いていると前方に小山が見える。地図を見るとそろそろ「水無一里塚」(左)が現れる場所だ。

杉並木の中へ入っていくと「御成街道 水無一里塚」(右)と記された白い標柱が建てられており、やはり水無の一里塚であった。この一里塚は江戸から32番目の一里塚で、ちょっと荒れてはいるが左右とも現存。


六面憧地蔵日光街道杉並木

杉並木が終わったところに変わった「地蔵石仏」(左)があった。六面憧と言われる六地蔵の一種。お地蔵様が宙に浮いているような。このような地蔵は初めて見たが江戸時代の人も面白い発想をするものですね。  

この先は国道を歩いたり杉並木の中を歩いたりを繰り返すが、砂利道で両側に小川が流れるという まさに江戸時代の「日光街道杉並木」(右)は気持ちがよかった。


十九夜塔再び杉並木

杉並木を出ると森友の集落に入っていく。

集落中程の来迎寺参道で見たのは如意輪観音が乗った4基の「十九夜塔」(左)。観音様のお姿やお顔は微妙に違っているが それぞれに優しいお顔だ。

街道に戻り次の交差点まで来ると交差点の向こうはうっそうとした森だが、ここから再び「日光街道の杉並木」(右)。


さくらすぎ七本桜一里塚跡

しばらく歩くと変わった木が。1本の木が桜と杉に分かれて天に向かっているではないか。標柱には「さくらすぎ」(左)とある。

さくらすぎから5〜6分先の右側に「七本桜一里塚跡」(右)があるが、塚の上に、根本に大きな空洞がある杉の大木がしっかりと立っている。説明板によると空洞には人間が4人位入れることから「並木ホテル」と呼ばれるようになったのだとか。江戸時代には「旅籠杉」とでも呼ばれたのかも。

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