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江戸城から神田界隈へ 街道地図

浅野内匠頭と吉良上野介の刃傷事件現場、松の廊下跡を見ましたよ。

江戸城大手門を出ていよいよ日光御成道の旅に出発。神田橋・万世橋を渡り秋葉原電気街の手前で左に曲がり昌平橋の袂で旧中山道に
合流。 
神田明神にお参りし銭形平次に挨拶して、この先は本郷通りだ。
  コメント:江戸時代には万世橋の150mほど上流に筋違橋が架橋されており将軍はこの橋を渡って中山道に入っていった。


 平成19年5月29日

江戸城大手高麗門江戸城大手渡櫓

江戸城本丸周辺(皇居東御苑)は一般公開されているので旅立つ前にちょっと散策を。

かつて将軍も通った大手高麗門(左)を入ると右側に「大手渡櫓」(右)が控えており枡形門となっている。江戸時代からの大手門は昭和20年(1945)に焼失、今の大手門はその後復元されたもの。

渡櫓を入って左に曲がり その先の大手下乗門(今は石垣のみ)を抜けると広場の先に中之門(ここも今は石垣のみ)が控えている。 おっとその前に入城札をもらわなければ。


百人番所二の丸雑木林

大手下乗門跡を抜けると広場の左側に長〜い建物があるが ここは「百人番所」(左)。説明によると常時百人の同心が本丸と二の丸の警護にあたっていた場所。

本丸へは左側の中之門を入るのだが右側の二の丸跡を通って本丸へ向かうことに。  

二の丸跡は「二の丸雑木林」(右)となっており散策路が設けられている。木漏れ日と小鳥のさえずりがなんと気持ちの良いことか。


本丸と二の丸をつなぐ汐見坂天守台跡

二の丸雑木林を出ると左に上る坂があるがここは本丸と二の丸をつなぐ「汐見坂」(左)。 かつてはこの坂から目の前の日比谷入り江の海が見えたそうだ。

汐見坂を上ったところで右手に見える石垣は「天守台跡」(右)。 三代将軍家光の時代に五層六階 高さ58mの天守閣が完成。ところが明暦の大火(振り袖火事)で焼失し以降 再建されることはなかった。


江戸城本丸跡松の大廊下跡

天守台から見える「本丸跡」(左)の広さにはビックリ。

表・中奥・大奥からなる殿舎はなんと1万1千坪という広大な広さ。しかし火災のたびに再建された本丸も文久3年(1863)の火災以降は再建されていない。

天守台を降り右手の林の中を歩くと赤穂浪士討ち入りにつながった「松の大廊下跡」(右)がある。今は松林になっているがかつては江戸城で2番目に長い廊下があった場所。
   


汐見坂とは反対側の坂を下ると中雀(ちゅうじゃく)門跡・中之門跡を通って再び百人番所の前に出る。この他にも見どころ一杯の東御苑。時間が許せばゆっくり見学を。  

大手高麗門将門塚

「大手高麗門」(左)に戻り日光御成道の旅に出発。

大手門を出たら真っ直ぐ進み大手町交差点で左に曲がる道が徳川将軍の通った御成道。右に曲がる道は甲州道中

数分歩き読売新聞社前交差点を左に入ると「将門塚」(右)に行かれる。平貞盛に討たれた将門の首級は京都に送られ獄門に。ところが三日後に白光を放って飛び去りこの地に落下したのだという。


神田橋神田美土代町説明板

街道に戻り数分歩くと「神田橋」(左)に到着。慶長年間にすでに架橋されていたそうだが現在の橋は大正14年(1925)の架橋。長さ17mの短い橋だが幅が34mもあるという長さと幅が逆転した珍しい橋だ。

神田橋を渡って5〜6分、屋根付きの掲示板は「神田美土代町説明板」(右)。「美土代」とは変わった町名だが?

説明板によると伊勢神宮にささげる初穂をつくる水田 「御田代(みとしろ)」があった故事から明治5年(1872)につけられた町名。ちなみに神田も同じ故事に由来する。


神田美土代町を抜け次の小川町の交差点を右に曲がり、神田小川町(おがわまち)、神田淡路町、神田須田町を通って中央通り(国道17号)との交差点まで来たら左に曲がって行く。 

万世橋神田川

曲がるとすぐに「万世橋」(左)であるが この橋は明治に入ってから架橋されたもので江戸時代には無かった橋。

徳川将軍は150mほど上流に架橋されていた筋違(すじかい)を渡って中山道へと入り日光東照宮を目指したのだが今は筋違橋の痕跡は見あたらない。

橋の下を流れる川は「神田川」(右)で下流側を眺めた写真であるが歌の神田川のような風情は・・・ないナー。


筋違橋説明版

追記(平成19年8月29日)
前項で「筋違橋の痕跡は見当たらない」と記したが、実は「筋違橋説明版」(右)が有りました。

万世橋を渡らず旧交通博物館跡に沿って左に曲がると旧万世橋駅の赤レンガ塀前に説明版が立てられていた。
説明版には御成道の地図も添付されている。それによると「大手門を出た将軍は現在の外堀通りで昌平橋の袂まで来た後、
橋を渡らず右へ曲がり筋違御門からこの橋を渡っていった」とある。


旧万世橋駅昌平橋

万世橋から上流側を見ると左岸に「旧万世橋駅」(左)の長〜い煉瓦建物が見えるが風情ある景色だね〜。

万世橋を渡り秋葉原電気街へは入らず左に曲がって行くと「昌平橋」(右)の袂に到着。

昌平橋は寛永年間(1624〜)には架橋されていたという古い橋で旧中山道はこの橋を渡っていた。橋の袂に町名由来板が設置されているが、それによるとこの周辺は旅籠町と呼ばれていた。


旧中山道に合流して数分歩き神田明神下の交差点で左に曲がり坂を上って行く道が旧中山道=日光御成道。  

湯島聖堂の築地塀湯島聖堂大成殿

坂の途中から頂上まで続く塀は「湯島聖堂の築地塀」(左)。いまどき築地塀とは風流だな〜。

回り道になるが築地塀に沿って左に下り湯島聖堂に寄り道を。元禄3年(1690)に徳川綱吉によって建てられた孔子廟であるが その後 昌平坂学問所として使われている。

「大成殿」(右)を囲む廊下には数人が静かにたたずんでおり 大人の居場所 そんな雰囲気がする聖堂だ。
 注:大成殿は関東大震災で焼失。現在の大成殿は昭和10年(1935)に再建されたもの。


神田明神楼門銭形平次の碑

御成道に戻り坂を上っていくと右手奥に見えたのは朱鮮やかな「神田明神楼門」(左)。

天平2年(730)創建というから長い歴史を持つが、江戸城増築に伴い現在地に遷座させられた神社。隔年に行わがらっ八 の碑れる神田祭りは江戸三大祭りの一つに数えられておりそれは見事。

神田明神に来たら銭形平次に挨拶せねばなるまい。神殿右の奥に「銭形平次の碑」(右)がある。
隣に「がらっ八 の碑」(右)も。小説上の人物が石碑になるとは、すごい人物だねー。
 


江戸の総鎮守である神田明神にお参りし銭形平次にも挨拶したので街道に戻り次の目的地本郷界隈を目指して出発だ。
その前に神田明神の入口にある江戸時代の弘化3年(1864)創業という天野屋さんで甘酒を一杯。

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