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富士道 道中記


江戸時代、富士山を信仰する庶民によって各地に「富士講」が作られ、
多くの人々が富士山頂を目指して江戸・日本橋を出発した。
その人達は甲州道中を大月まで歩き、桂川手前の追分から富士道に
入り、まずは上吉田(富士吉田市)の富士浅間神社で安全祈願。
その後 登山道に入り山頂をめざしたのだった。

往時は大変な賑わいで、白装束の巡礼者で富士道が真っ白に
なったという。

今回の旅は甲州街道の大月追分から富士浅間神社までの旅だが、
街道沿いには石仏・石塔が多いのでこれらを探しながらの歩きとなる。


大月追分から十日市場まで

十日市場から下吉田まで

下吉田から富士浅間神社まで