@見付宿から小豆餅まで

A前半小豆餅から落合橋まで

後半落合橋から西気賀まで

B西気賀から三ヶ日で

C三ヶ日から和田辻まで

D和田辻から御油追分まで
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姫街道の歴史は古く、古代には 二見の道 と呼ばれ東海道の本道として利用されていた。本坂峠を経由したことから
本坂越(ほんざかごえ)、本坂通(ほんざかとおし)、本坂道(ほんさかみち)などとも呼ばれていた。天正年間頃から街道の
整備が進み、慶長6年(1601)に宿駅制度が定められた際は「東海道本坂越」と名づけられた。
ルートは東海道の安間追分から北上し、市野宿、気賀宿、三ヶ日宿、嵩山(すせ)宿を経由して東海道御油宿までの
15里14町(約60キロメートル)。また浜松から北上して追分で姫街道に合流するルートもあった。一方、見付宿で
東海道から分かれ池田渡しで天竜川を渡り富田村を通って市野宿に入る「池田近道」というルートもあった。
姫街道は東海道今切の渡しルートより距離が長く、本坂峠越えの難所もあったが浜名湖の新居関所での取り締まり、
特に女取り締まりが厳しかったことから女性の利用が多くなり幕末ごろには姫街道と呼ばれるように。 |
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