上板橋宿 かみいたばしじゅく |
上板橋宿は江戸側から下宿、中宿、上宿の三宿で構成されていたが宿場の規模は小さく問屋場や本陣は
設けられていなかった。そのため問屋場と本陣の役目を務めたのが名主の河原与右衛門宅であった。
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街道地図 |
YOU-ZA OYAMA商店街を通り過ぎて東武東上線の踏切りを渡ると「ハッピーロード大山商店街」(左)。まだ朝の10時だというのにこの人の多さはなんだ。もうびっくりだ。
旧川越街道は商店街の中を7〜8分歩き 現・川越街道に合流。合流点を右に入った所に「福地地蔵堂」(右)がある。ここに鎮座するお地蔵さんは なんと女性なのです。文化文政のころ、おふくさんという行者が難病苦業を癒し住民から大変に慕われていたそうだ。後に地元の人々によりおふく地蔵として祀られたのだとか。 |
街道に戻り数分歩くと「国道から右に入る道」(左)があるが この辺りから「旧上板橋宿」(右)。車が押し寄せてくるような国道から一歩入ると静かな町並みとなる。
この先の豊敬稲荷神社境内に「上板橋宿の概要図」(右)が掲示されているが、それによると『町並み6町40間(約740m)、家数90戸』というから小さな宿場であった。 |
宿場に入って数分歩いたら寄り道を。向った先は徳川家康の乗馬の轡(くつわ)が祀られているという「轡神社」(左)。この神社は百日咳にに霊験があるということで遠方からも参拝者があったという。全快するとお礼に馬わらじを奉納したそうだが今も ちょっと古びてはいるが馬わらじが奉納されている。
街道に戻り数分、街道際の神社は「豊敬(とようけ)稲荷神社」(右)。説明碑によると「民家の片隅に追いやられていた神社を福本芳太郎なる人物が現在地に土地を購入して遷座」。奇特な人だ。 |
神社先の古民家は米穀商を営んでいた「旧三春屋」(左)。宿内唯一の古民家だが説教強盗事件で有名。昭和初期、都内一円に説教強盗なる泥棒が出没。三春屋にも入り「あなたの家は強盗に入られ易い」「犬を飼いなさい」などと説教をしたそうだが三春屋で付いた指紋から足が付き御用に。
宿の終わりは石神井川に架かる下頭橋辺りだが その袂にある祠は「六蔵祠」(右)。六蔵なる人物が残した大金で石橋が架けられたことから その徳を讃えて六蔵祠が建てられた。
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その橋を「下頭(げとう)橋」(左)というが この辺で珍しく擬宝珠が乗っている。かつては木橋だったが六蔵の金で石橋が架けられたのが寛政10年(1798)。以来水難事故が無くなったとか。下頭 とは変わった橋名だが由来は幾つかある。その一つが「川越城主が江戸に出府の際、家臣が頭を下げて見送り 出迎えたから」だとか。
橋の先の五差路は つい真っ直ぐ進みたくなるがここは斜め左に曲がり「下頭橋通り」(右)へと入っていく。 |
ほどなく現川越街道に合流するがその向こうに見えるのは寛文10年(1670)開山の「長命寺」(左)。寺のある場所は室町時代の板橋城跡と云われているが定かではない。
本堂の前に鎮座する「石仏」(右)は どれも享保(1716〜36)〜元禄(1688〜1704)の頃のもの。どの仏様も穏やかで優しそうな お顔をしており思わず手を合わせたくなる。
旧川越街道はこの先しばらくは現川越街道(国道254号)を歩き、その先で右側の旧道に移り下練馬宿へと入っていく。 |
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