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街道松 中山道道中記   街道松

第20宿追分宿
おいわけじゅく
追分宿は越後路に至る北国街道との追分で交通の要所。 享保年間には旅籠70軒余、茶屋18軒を
数えたという大変にぎわった宿場であった。浅間三宿
(軽井沢・沓掛・追分)の中では、当時の面影が
比較的良く残っている宿場である。
街道地図

 平成21年1月6日  「追分け」と言わず「分去れ(わかされ)」という分かれ道。 なんとも情緒ありますねー。

追分一里塚旧中山道 国道18号をしばらく歩くと39番目の「追分一里塚」(左)。ここは国道の両側に塚が現存。 国道の設計者がうまい具合に一里塚の間に道路を通してくれたようだ。

看板には「江戸へ39里 京都へ91里14町」とある。 京都まではあと359kmほど。まだまだ遠い。一里塚の先から右に分かれる細い道が「旧中山道」(右)で、その先が20番目の宿場である追分宿。

追分節発祥地碑芭蕉句碑右に入って2〜3分、追分宿郷土館があり、その隣は浅間神社(あさまじんじゃ)。本殿は室町時代の作という大変古い建物だが社殿に収められているため見ることはできない

境内に2基の石碑があるが、その一つは「追分節発祥地碑」(左)。
  碓氷峠の権現様は わしが為には守り神 浅間山さんなぜ焼けしやんす 裾の三宿を持ちながら
碓氷峠を越える馬子達の歌が飯盛女の三味線で洗練され、座敷歌となって諸国に広まったのだとか。

もう一つは寛政5年(1793)に建立された「芭蕉句碑」(右)。
  吹き飛ばす 石も浅間の 野分(のわけ)哉   芭蕉翁

追分宿の(元)本陣裏門旧堀辰雄邸浅間神社を出て4〜5分、堀辰雄文学記念館 の案内があるが、その入り口の門が「追分宿の本陣裏門」(左)。裏門といってもどうしてどうして、表門でも通用するくらい立派。

門を入った奥で常設展示館や文学碑などとともに「旧堀辰雄邸」(右)が見られる。芥川龍之介らと訪れたこの地を気に入り定住したのだが、この家で生涯を閉じたのは49歳という若さ。

油屋旅館(旧脇本陣)高札場跡文学記念館から街道に戻ると右奥に見えるのは脇本陣であった「油屋旅館」(左)。もともとは街道の左側にあったのだが焼失して右側に移り今も旅館業を営んでいる。

少し先の右奥に明治天皇追分行在所碑が建てられているが、ここは「追分宿土屋本陣」があった場所。その先が「高札場跡」(右)であるが、復元された高札に(さだめ)が掲示されているので一部を。
 一、毒薬、似せ薬種売買の事禁ず。
 一、新作のたしかならざる書物売買すべからく事。
 一、諸職人いい合わせ、作料、手間賃等高直(たかじき)にすべからず。

小林一茶の句碑半跏思惟像 数分先の路地を右に入った奥は諏訪神社だが境内に比較的新しい 「小林一茶の句碑」(左)がある。
  有明や 浅間の霧が 膳をはふ 

街道に戻りさらに数分、泉洞寺に 堀辰雄がこよなく愛したという石仏があるので寄り道を。裏の墓地入り口で物思いにふけっている石仏は「半跏思惟像」(右)。素朴なお姿がなんともたまりません。

旧茶屋つるがや分去れ(わかされ)まもなく追分宿の出口。かつては枡形道があり 枡形の茶屋 と呼ばれた茶屋が数軒あったのだが、そのうちの1軒「旧茶屋つるがや」(左)に当時の面影を見ることができる。

街道はつるがやの前で国道18号に合流するが、すぐ先が「分去れ(わかされ)(右)と呼ばれた追分。右に曲がる道が越後路へ至る北国街道。真っ直ぐ(当時は左に曲がっていた)の道が京都・三条大橋まで続く中山道。
追分と言わず分去れ、なんとも情緒ありますねー。

分去れ道標森羅亭万象歌碑ここには常夜灯や歌碑、石仏など様々あるが「分去れ道標」(左)に刻まれている文字は 「従是中仙道」、向こう側に「従是北国海道」。海道とは街道のこと。江戸時代中期以前まで使われた言葉。
「さらしなは右 みよしのは左にて 月と花とを追分の宿」と刻まれた風流な手水鉢様の道標もある。

その横の歌碑は、標柱に「森羅亭万象歌碑」(右)とある。万象とは平賀源内とも、その弟子とも云われているが、刻まれた歌は
 世の中は ありのままにぞ霰(あられ)降る かしましとだに心とめねば

旧中山道へ入らず右側の北国街道をちょっと歩くと珍しい銅像が。庚申塔や馬頭観音などの石塔が散在している公園の一番奥に、シャーロックホームズさんが台座の上に立っているのです。

旧中山道」ミニ日本橋分去れまで戻り国道を40〜50m歩くと「旧中山道」(左)の標識があるが、ここが怖い。横断歩道が無いので車が途切れた瞬間にダッシュ。ところが、なかなか途切れんのよ。
 コメント:100mほど先に交差点があるのでこちらを渡るのが安全。

旧中山道に入ると再び静かな街道を気持ちよく歩ける。左に入ったすぐの所に中山道六十九次資料館なる民間施設がある。面白いのは「ミニ日本橋」(右)からミニ中山道を通って ミニ三条大橋 まで歩くことができるのだ。

御代田一里塚地下へ潜る旧中山道六十九次資料館を出たあとは緩い下り坂をてくてくと歩くこと1時間。民家が並び始めると御代田(みよた)の集落。「御代田の一里塚入り口」の標柱を見たら右に入ると、おーっ見事な「御代田一里塚」(左)。 この一里塚は、左右とも当時のままそっくり現存しているという貴重なもの。

寛永12年(1635)に中山道の改修工事が行われたが、そのとき街道が一里塚の外側に変わってしまったのだとか。そのため道路工事などに遭わず昔のままに残ったという幸せな一里塚だ。

一里塚を出ると街道は信濃鉄道で分断されるが線路の下を「地下へ潜る旧中山道」(右)が続いている。

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