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中山道/例幣使街道倉賀野追分け             街道地図

旧暦4月1日に京都を出発し中山道を下ってきた例幣使一行は4月11日の夕近く、中山道・倉賀野宿に到着。 
しかし倉賀野宿に泊まることはなく次ぎの宿場である玉村宿を目指し 中山道から例幣使街道へと入っていく。

 平成24年6月26日

中山道倉賀野宿を過ぎると程なく「追分の道路標示」(左)に例幣使街道】【旧中山道とある。 
いよいよ例幣使街道の旅へ出発。

この追分には江戸時代に設置された「道標と常夜灯」(右)があるが道標に刻まれた道筋は「従是 左日光道 右江戸道」。後ろの常夜灯は文化10年(1814)に建てられたもので基台には312名の寄進者名が刻まれている。著名人も多く史上最強の力士と云われた雷電為右衛門の文字も読める。

常夜灯後ろの建物は通称「閻魔堂」(左)と呼ばれている阿弥陀堂。 元々は阿弥陀仏が祀られていたが明治初期に立て替えが行なわれ、その時に閻魔大王が祀られたことから閻魔堂と呼ばれるようになったのだとか。

覗き窓から中を見ると目の前に真っ赤なお顔の「閻魔大王」(右)が。この閻魔様は珍しく奪衣婆ではなく左右に闇黒童子と具生神を従えている。

追分から例幣使街道に入ると、各所にの道路標示があり中山道とはちょっと違う。JR高崎線の踏切りを渡り、国道17号を横断し、県道13号も横断していく。

県道を横断したすぐ先の十字路際にちょっと変わった形の「道標」(左)が。多分、上に石仏が乗っていたのだろう。
街道はこの先も真っ直ぐ続くはずだが今は道が無い。明治15年(1882)に陸軍の火薬製造所ができ戦後は日本原子力開発機構の敷地となってしまった。

ここまで来たので突き当たりを右に曲って「県立歴史博物館」(右)に寄り道を。群馬県の旧石器時代から現代までの歴史展示が行われている。千葉県・佐倉にある国立歴史博物館の群馬版とでも言おうか。

道標まで戻り原子力開発機構沿いを10分ほど歩くと上州綿貫不動尊の看板が目に入るが、ここは「不動山古墳」(左)。
古墳の上に不動尊が祀られ樹木で覆われているため分かりずらいが、五世紀中頃に築造された全長94mの前方後円墳。

すぐ近くの「観音山古墳」(右)は古墳全体を眺めることはもちろん、石室を覗いたり、古墳の上に登ることもOK。古墳時代後期に作られた代表的な前方後円墳で全長97m。

街道に戻り井野川に架かる鎌倉橋を渡ったら土手を下流方向に50mほど歩くと例幣使街道の「土橋跡」(左)。今は痕跡を探す事はできない。

しかし、ここから例幣使街道が復活しており ちょっと先には【例幣使街道】(右)と記された道路標示も。



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