東金御成街道
徳川家康の命を受けた佐倉藩主土井勝利が慶長18年(1613)12月から翌年1月の短期間に造り上げた道路で、船橋の西向き地蔵前から東金までの約37kmをほぼ直線で結んでいる。 農民を総動員し提灯をつけながら昼夜兼行で造らせたことから「一夜街道」「提灯街道」とも呼ばれていた。この街道は枡形道や曲尺手が全く無い直線道路に造られていることが特徴といえる。
家康が鷹狩りを行うために造らせたと云われているが内実は大久保忠隣が謀反を企てているとの情報を得た家康が鷹狩りを口実に九十九里方面の検分を行うために急遽造らせたようだ。
街道は一部消滅した部分もあるが造成当時のルートがほぼそのまま各幅され残っている。 今回の旅は西向き地蔵前からではなく、成田街道との追分である前原西追分からのスタートとした。
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