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街道地図
(40) 台ケ原宿  日本の道百選 甲州街道・台ケ原宿
台ケ原宿は釜無川と尾白川に挟まれた山間の宿場。緩やかな坂道の両側に並ぶ町家には銘酒「七賢」の造り酒屋の建物や
古民家が並んでおり、『日本の道百選』にも選ばれた風情のある宿場町。

 平成19年1月5日

七里岩からの景色国道20号穴山橋今回の旅は中央線穴山駅から。前回苦労した七里岩を下って甲州街道に入るのだが、つい先日見たばかりの「七里岩からの景色」(左)がなんとも懐かしく感じるから不思議だ。  

七里岩を下って甲州街道(国道20号)に入りしばらく歩くと「穴山橋」(右)。この橋を渡り数分歩いたら右へ入る道が旧甲州街道。


徳翁のおはかみち水音がなんとも心地良い旧甲州街道旧道へ入ると静かなたたずまいとなり 旧街道 の雰囲気が味わえる。数分歩くとなまこ壁の続く路地があるがここは「徳翁のおはかみち」(左)。入り口に石碑が建てられている。

徳翁とは日本三大堰の一つと言われる徳嶋堰と用水路を完成させた人物。この用水路は350余年後の今も使われている。

この辺りは緩い上り坂であるが道の両側の小川からサラサラと聞こえる「水音がなんとも心地良い」(右)。


雪の八ヶ岳旧甲州街道一里塚跡碑

心地良いのは水の音だけではない。「雪の八ヶ岳」(左)も街道歩きを楽しくさせてくれる。街道からだと電線越しになるが一歩裏に入ると彼方の雪山を独り占めだ。

この先で国道に合流し小武川橋を渡ったらまたまた右へ曲がって行く道が旧甲州街道。
10分ほどで国道に合流するがその手前にあったのは「旧甲州街道一里塚跡碑」(右)。碑に刻まれた文字は「甲府ヨリ六里ナノデ六里塚トモ云ウ」 。   


国道20号を4〜5分歩きまたもや右の旧甲州街道に入り10分ほど歩くと再度、国道の交差点に合流。 

萬霊塔水車小屋

交差点を渡って左にちょっと入ると立派な「萬霊塔」(左)を見ることができる。 が、ここは旧甲州街道ではない。旧甲州街道は合流点から右に入るのだが途中で道が消滅。仕方がないので国道20号に出て大武川橋を渡ると今度は国道の左側へ入って行く道が旧街道。

道なりに集落の中の緩い坂道を上って行くと開けた場所へ出て彼方に「水車小屋」(右)が見えるではないか。水車小屋がある風景、のどかだね〜  


舞鶴松枯山水庭園

水車小屋を見たらその先の山裾の坂道を上り万休院に寄り道を。「新・日本の名木100選」に選ばれた「舞鶴松」(左)は樹齢450年という赤松。樹形は「見事」の一言。ところが残念なことに枯れ始めているではないか。南側はほとんど茶色。本当に残念だ。近くの石碑にこんな詩が。
   病む松を 五色の桜に植えかえて 永遠に護らむ 舞鶴の松

万休院にはもう一カ所見所が。舞鶴松の前に広がる「枯山水庭園」(右)。さながら京都の寺院の庭を見ているようだ。


七里岩国道20号と交差する旧甲州街道

万休院を出て旧街道に戻ると薪が積み上げられた家が有ったり、馬頭観音が有ったりと、懐かしい雰囲気の中をてくてくと。彼方には相変わらず「七里岩」(左)が見える。

道なりに20分ほど歩くと旧甲州街道は「国道20号と交差」(右)して武川町の上三吹集落へと入って行く。


一里塚跡碑バスの時刻表

静かな集落を抜けると釜無川と七里岩を望める休憩所があるではないか。嬉しいね休憩所を設けてくれるとは。休憩所の先に高さ50センチ程の「一里塚跡碑」(左)が道路際に建てられているが、この一里塚跡碑には「・・・・七里塚トモ云ウ」と刻まれている。

この辺りからバスの時刻が気になり出した。「バスの時刻表」(右)を見ると韮崎行きのバスは午後は2本しかない。乗り遅れたら3時間待ち。なんとか台ケ原宿にたどり着いたが見学はあきらめた。 


 ここから1月10日

武川町上三吹集落台ケ原宿案内板今日の出発地は「武川町上三吹集落から」(左)。数日前に降った雪が道路両側に積み上げられており その間を今降りたバスがゆっくり通って行く。なんともゆったりとした風景だ。しばらく歩いて一里塚跡の写真を撮り国道20号に合流。尾白川を渡り花水坂を上るといよいよ台ケ原宿。

坂を上りきったところに「日本の道百選 台ケ原宿」(右)と記された看板が建てられている。右の道を入って行くと台ケ原宿。きっと素晴らしい景観の街道だろう。期待がふくらむ。
コメント:尾白川を渡ったら左側に設置されている 「古道入口 はらじみち」 と刻まれた道標(私が歩いた当時は無かった)の前の道が旧甲州街道だが、うっかりと国道を歩いてしまった。残念!


簡単な休憩所と宿場案内板本陣跡と秋葉常夜灯さっそく道祖神や立場跡、古民家等が並び旧街道の雰囲気が出てくる。最初の十字路を左に曲がると「簡単な休憩所と宿場案内」(左)があるのでまずはここで宿場の予備知識を。

先ほどの十字路まで戻ると常夜灯が目に入るが ここは「本陣跡」(右)。説明板によると建坪97坪余というからあまり大きくはない。左側の常夜灯は秋葉常夜灯で、往年、火災と水害に見舞われたことから防火を祈願して本陣跡に建てたのだとか。


造り酒屋・山梨銘醸旧脇本陣ちょっと歩くと大きな酒林が下がった建物があるが、ここは銘酒七賢でお馴染み「造り酒屋・山梨銘醸」(左)の建物。 利き酒も出来るのだが笹一酒造の二の舞になりたくないから止めとこ。
 『七賢』:竹林で七人の賢人が酒を酌み交わしたのだとか。いいね〜

山梨銘醸の「北原家は脇本陣」(右)でもあった。隣の建物は明治天皇ご巡幸の際に行在所となっており明治天皇菅原行在所碑が建てられている。使われた部屋は今も残されている。


金精軒登記所跡七賢の斜め前の建物が和菓子の老舗「金精軒」(左)。創業は明治35年(1902)というから100年ほど前。信玄餅は金精軒が元祖だそうだ。この日は残念ながら定休日。

金精軒の100メートルほど先の崖上は「登記所跡」(右)。明治24年(1891)に近くの能福寺に菅原村などを管轄する登記所が開設されたが大正元年(1912)に当地に庁舎を新築し移転。昭和50年(1975)まで続いた。


田中荒尾神社修験智拳寺跡登記所跡のすぐ先が「田中荒尾神社」(左)。荒尾神社は尾白川の近くにあったが川がたびたび氾濫するため大正3年(1914)に田中神社境内に合祀。田中神社は三代将軍家光の時代から始まった御茶壷道中の宿泊場所となった由緒ある神社である。

20メートルほど先の右側広場は「修験智拳寺跡」(右)。山岳信仰と仏教が習合した宗教が修験で、地域に密着した活動を続けていたが明治4年の神仏分離令により廃寺となった。

台ケ原一里塚跡碑

台ケ原宿碑さらに20〜30メートルほど先の道路際になかなか味のある「台ケ原宿碑」(左)が建てられている。その左側に「みうらや」と刻まれた小さな石碑も建てられているのだが雪に埋もれて見えないのが残念。 みうらや は旅籠の屋号

さらに20メートルほど歩いた左側に「台ケ原一里塚跡碑」(右)が建てられている。碑の上部にAと刻まれているのが分かりますか。これは宿場案内の遺跡の通し番号なのだが碑に刻み込むとはなー。親切のつもりだろうが、おせっかいというものだ。せっかくの立派な石碑が台無しだ。  



台ケ原宿の町並み畑の中の一本道造り酒屋七賢の前後に古民家などが並び旧街道という雰囲気が感じられるが、その先の「町並み」(左)も しっとりした雰囲気で「日本の道100選」に選ばれている。

台ケ原宿を抜け白州小学校前を過ぎると家がまばらとなり「畑の中の一本道」(右)に変わっていく。数日前の雪が眩しい。台ケ原宿にはこの他にも立場跡や郷蔵跡もあった。

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