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野木宿は古河宿から近いことと泥湿地で人家が集まらなかったこと、などから小さな宿場であった。現在の国道4号沿いが宿場町であったが
当時の面影はほとんど残っていない。 |

塩滑地蔵から5〜6分歩くと栃木県に入り国道4号に合流するが、合流のちょっと手前に「野木神社」(左)の参道があるので少々歩くが訪ねてみた。仁徳天皇の時代に創建されたというから1600年以上の歴史。
神社境内で見つけたのは「芭蕉句碑」(右)。
一疋の はね馬もなし 河千鳥 芭蕉墳
傍らの説明板に「芭蕉句碑」とあるが、句集には見つからない。「墳」の文字も気になる。しばらく悩みそう。
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神社の池畔で可愛らしい花を見つけた。一本の茎に二輪ずつ花をつける「二輪草」(左)の群落がいままさに満開。可憐な花です。
街道に戻り先へ歩いても宿場時代の面影は無い。数分歩いた先の「野木宿説明板」(右)によると「野木神社周辺に居住していた人達が文禄年中(1592〜95)に街道筋へ出て馬継が開始され町並みを形成。・・・・本陣1、脇本陣1、旅籠25、人口527人の小さな宿場だった」 とある。
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甲州街道では廿三夜塔をよく見たが、この辺りでよく見るのは「十九夜塔」(左)。
十九夜様(じゅうくやさま)と呼ばれる如意輪観音のことで安産の神様と言われ女性の信仰を集めていた。
交差点向こうの民家生け垣の中に「一里塚跡」(右)と記された小さな看板がある。ここは江戸から17番目の「野木一里塚」であるが、ずいぶん控えめな表示だ。
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野木宿からは国道4号をトラックと一緒に1時間、やっと法音寺に到着。東海道の白須賀宿から二川宿までを思い出してしまった。
法音寺の境内にも「芭蕉句碑」(左)がある。
道ばたの むくげは馬に 喰われけり 芭蕉翁
この句は東海道金谷宿で目にしたが金谷の句碑では「道のべの ・・・」で始まっている。
ところで芭蕉さんのお姿を拝見しましたよ。 傍らの説明板の中で(右)。ちょっとお疲れの様子。
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法音寺前の交差点を挟んだ対面の「友沼八幡神社」(左)は今はごく普通の神社であるが江戸時代は東照宮に社参する将軍の休憩所となった格式の高い神社。
15分ほど国道を歩いた左側の若宮八幡宮境内で見たのは「大日如来座像」(右)。神社に仏像、よいではないか。江戸時代は普通のことだったのだから。建立当初は屋外に安置されていたので 濡れ仏様 と呼ばれたが今は屋根がつきました。
この後は再び国道4号をテクテクと。
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