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(5)杉戸宿 街道地図
人なつこい猫が本陣跡を教えてくれましたよ
杉戸宿は五街道の整備より少し遅れた元和2年(1616)に近郊の家を集めて誕生した宿場であった。
国道4号から外れているためか大きなビルや真新しい飲食店などは無く 鄙びた街道という雰囲気が
感じられる旧日光街道である。

 平成19年3月13日

杉戸町道標と祠

国道4号を北上し「杉戸町」(左)に入ると丸い玉が見える。まさか甲州街道で見た球形道祖神ではあるまい。それは 北緯36度を強調した地球儀であった。杉戸町のこの場所が北緯36度であることにちなみ 世界中の北緯36度に位置する都市を表現したモニュメントだったのです。

しばらく先で旧日光街道は国道4号と別れ左に入って行く。2〜3分歩くと右江戸・左日光と刻まれた「道標と祠」(右)があるが、どういう分けか右と左が逆。街道の反対側にあったものを移設したのだろう。


旧街道は10分程で国道4号に合流するが、さらに10分ほど歩くと再び左の道に入り杉戸宿へと向かう。

鍾馗様関口酒造

旧道に入った先に三本木一里塚跡があるはずだが見落としたようだ。杉戸町の役場を過ぎ次の交差点で信号待ちしている時、ひょいと上を見ると「鍾馗様」(左)がいるではないか。交差点際の民家の瓦屋根の上に。粕壁宿で見たときは 「珍しい」 と思ったが それまでは感心が無かったので気がつかなかったのだろう。

交差点を渡った先の右側が造り酒屋の「関口酒造」(右)。店先に杉玉やこもかぶりが無いのでうっかりすると通り過ぎてしまいそう。 創業は文政5年(1822)というから江戸末期、とするとこの建物も当時のものだろうか。


明治天皇小休止跡碑本陣跡地前の標識人なつこい猫

次の大きな交差点の銀行前に「明治天皇小休止跡碑」(左)が建てられている。ということはこの近くに本陣が。交差点を渡って振り返ると信号機の横に「本陣跡地前」(左)の表示が。これが間違いの元だった。この周辺を一生懸命探したが見つからない。


あきらめて100メートルほど歩くと「人なつこい猫」(右)がいたので聞いて見たら教えてくれましたよ。本陣跡を。


立派な松と杉戸宿本陣の門脇本陣跡

猫が右奥を見ているのでそちらに目を移すと「立派な松と杉戸宿本陣の門」(左)が見えるではないか。猫ちゃん有り難う。といっても本当は猫の飼い主さんが教えてくれたのだが。
本陣建物は残念ながら焼失してしまい門と松だけが残っていた。

また道路を挟んだ向かい側の小林質店が「脇本陣」(右)だったということである。


奥の細道三十三カ所霊場格子戸の素敵な古民家

直線の街道が右に曲がった先の宝性院門前に「奥の細道三十三カ所霊場」(左)と刻まれた石碑が。ところが奥の細道 らしさは何も無い。後日調べたら奥の細道霊場と名乗る札所だったのです。

宿場の終わり近くに「格子戸の素敵な古民家」(右)があったので撮影。写真では分かりずらいが一階も二階も全面に格子戸が嵌め込まれ見る者を圧倒する。


10分ほど歩くと国道4号に合流。さらに20分ほど歩き大島交差点まで来たらちょっと寄り道を。  

大島有隣遺跡恭倹舎茨島一里塚説明板

交差点を右に曲がり数分歩くと稲荷大明神の赤い鳥居が見えるがその隣が目的の「恭倹舎」(左)の建物。心学者大島有隣が心学普及のため天明5年(1785)に創建した恭倹舎が引き継がれ、昭和6年(1931)に県指定の遺跡に登録。

国道に戻り数分歩くと江戸から11番目の「茨島一里塚」が有った場所に到着。駐車場端にある「説明板」(右)によると、ここは杉戸宿と幸手宿のちょうど中間の場所で塚上には榎か槙が植えられていた、と記されている。

次の幸手宿までの街道も単調になりそうだが 途中で日光御成道と合流するのが楽しみだ。


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