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街道松 中山道道中記   街道松

第33宿贄川宿 
にえかわじゅく
贄川宿は奈良井川の両岸に迫る山間の小さな宿場町で、木曽11宿の最北端の宿である。
ここには福島関の添番所
(贄川関所)が設けられ木曽路の北の防御拠点でもあった。
昭和5年
(1930)の大火で町の大半を焼失してしまったため往時の面影はあまり感じられない。
街道地図

 平成21年3月19日  いよいよ木曽路の旅に入りました。山と山の間の狭い谷を道路と線路と川が並走しています。

木曽路碑桜沢茶屋本陣跡「木曽路碑」(左)を見ると 「いよいよ木曽の山中に入ったな」 そんな実感がふつふつと湧いてくる。
「東ざかいの桜沢から西の十曲峠まで、木曽十一宿はこの街道に沿うて二十二里余に渡る長い渓谷の間に散在していた」   とは島崎藤村の「夜明け前」の冒頭だ。

桜沢集落に明治天皇櫻澤御小休所碑御膳水碑が建てられているがここは百瀬家が務めた「桜沢茶屋本陣跡」(右)。

片平集落への入口若神子(わかみこ)一里塚うなりを上げて通り過ぎるトラックに付き合ってきたが、片平橋を渡りしばらく歩いた先を右へ入る道が「片平集落への入口」(左)。わずかな区間であるが国道から離れた静かな集落を歩くとほっとする。

集落外れの鶯着(おうちゃく)下から再び国道に合流するのだが、すぐ先の擁壁上に見える小山は現存の「若神子(わかみこ)一里塚」(右)。国道の工事で少し削られ小さくなってしまったのが残念。一里塚の先で再び右に入る道が旧中山道で、その先は若神子集落へと続いている。

旧中山道贄川駅若神子集落の終わりから国道へ下っていく道を歩きたくなるが、居合わせた方が 「こっちの道へ行きな。こっちが中山道だよ」 と教えられた道は土道の「旧中山道」(左)。教えられたとおりに歩くと「贄川駅」(右)を見下ろす場所に出たが停車場という言葉が似合いそうな駅である。

旧中山道は国道を越えて中央線のむこう側に向かっていたのだが今はほとんど消滅状態。坂を下って国道に合流し贄川駅前を通ってメロディ橋と名づけられた跨線橋を渡ると再び旧中山道に入ることが出来る。

ここから平成21年4月8日

贄川関所(復元)贄川の家並みメロディ橋を渡ると左下に「贄川関所」(左)が復元されている。ここは福島関の添番所として設けられた関所。旅人はもちろんであるが木曽桧を使った曲物や漆器の密移出にも目を光らせていた。

贄川宿は昭和の大火で町並みの大半を焼失したため「中心部の家並み」(右)には古民家などは見当たらない。写真の酒屋さんは脇本陣があった場所で、その手前、郵便局の対面が本陣跡であったということだが定かではない。。
 

深澤家住宅枡形道宿場の外れ近くに嘉永7年(1854)に竣工したという「深澤家住宅」(左)が現存。屋号を加納屋と称した商家で、京、大阪にも販路を拡大した贄川宿屈指の商人であった。

旧中山道はその先で「枡形道」(右)となっている。防火水槽の表示手前を右に曲り、突き当たりを左に曲って国道19号辺りまで上っていくのだが今は中央線で分断されており先へ進むことはできない。道なりに進むと人専用の跨線橋があるのでここを通れば国道に出ることができる。

観音寺山門麻衣迺(あさぎぬの)神社国道に出たら左へ行くのだが、右に曲ってちょっと寄り道を。数分歩くと大きな観音様が見えるが その奥に見えたのが「観音寺山門」(左)。寛政4年(1792)に再建された山門は手入れが行き届いており200年も前の建築とは思えない。

観音寺横を通ってさらに奥へ歩くと「麻衣迺(あさぎぬの)神社」(右)へ行かれる。天慶年間(938〜947)創立というから長い歴史を持つ神社である。「麻衣」は木曽の枕詞。
  さらしなのやまの嵐も聲すみて きその麻衣つきにうつなり     順徳院

贄川のトチ旧中山道用の歩道国道まで戻ってさらに数分歩くと右奥に「贄川のトチ」(左)の巨木が見える。この樹の樹齢はなんと推定千年。安中宿に樹齢千年のケヤキがあったが杖をついてやっと立っている感じだった。こちらはすっくと立っている。立派

旧中山道へは国道の緩い坂を上り木曽路民芸館の駐車場脇から国道の擁壁上に設けられた「旧中山道用の歩道」(右)を通って階段を上がると入れる。

階段を上がった先から「旧中山道の土道」となり、途中には「中仙道碑」「津島神社」や馬頭観音、石塔群などが続き江戸時代の雰囲気が味わえる。 
坂を下ると江戸時代からの道幅が続く「桃岡集落」に入っていく。
旧中山道の土道 中仙道碑 津島神社 桃岡集落

押込(おしごみ)一里塚跡押込一里塚跡碑桃岡集落を下っていくと「押込(おしごみ)一里塚跡」(左)があり標柱が建てられている。ここは江戸から63里目。対面の公園内に一里塚のような小山が造られている。

練馬の榎本様から新しく設置された「押込一里塚跡碑」(右)の写真を提供していただきましたので追記いたします。
以前は標柱だけでしたが石碑と説明板が追加されました。


左側の細い道が旧中山道 街道はこの先で国道に合流し すぐに奈良井川を渡っていく。
橋を渡って4〜5分、国道を離れ「左側の細い道」(右)へと入り長瀬の集落を10分ほど歩いて再び国道へ合流。
国道を7〜8分歩き平沢北の信号で今度は右側に入る道が旧中山道

かれこれ15分ほど歩きJA木曽楢川支所まで来たら駐車場脇を左に入り坂を上っていくのだが旧中山道はさらに平沢諏訪神社横を通っていく。

芭蕉句碑諏訪神社拝殿楢川支所の駐車場脇(旧中山道沿い)にあったのは「芭蕉句碑」(左)。
     送られつ をくりつはては 木曽の秋   芭蕉翁

坂道を上ると諏訪神社舞殿前に出る。諏訪神社であるので御柱が建てられているのだが、なんと境内の左右に2本ずつが向かい合っている。そういえば麻衣迺神社では4本が横一線だったなー。「拝殿」(右)は舞屋の後ろ。

神社拝殿横を通って階段を下ると先ほど分かれた道に合流。その先は漆器の町 平沢

二十三夜塔木曽平沢階段を下ったら左へ曲がるのだが 右へ曲がると「二十三夜塔」(左)があり、説明板に二十三夜の面白い伝承が。
「神に願かけ叶わぬならば、二十三夜さまお立ち待ち」 月が出るまで飲酒談合して待つのだが「お立ち待ち」といって月が上がるまで腰を下ろさず立ち続けるのだそうだ。

二十三夜塔から1〜2分歩くと漆器の町「木曽平沢」(右)。江戸時代からみやげ物として人気があったのだが今も休日には漆器を求める観光客でごったがえすとか。この日は平日で静かでした。

木曽平沢を出て数分歩き、中央線の踏み切りを越えて国道19号に出る道が旧中山道であるが地元の人が 「 川沿いの遊歩道を歩くと一里塚が見られるよ」 と言う。

奈良井川沿いの遊歩道橋戸一里塚ならばと踏み切り手前を右に下り「奈良井川沿いの遊歩道」(左)を歩くと、「橋戸一里塚」(右)が奈良井川の向こう岸に。人専用の橋を渡って近くまで行くことができる。

説明板によると「当初中山道は奈良井川左岸にあり そこに一里塚が設けられていたのだが、いずれかの時期に中山道が右岸に移され橋戸一里塚は使われなくなった」とある。旧中山道から外れているため見落とす人が多い一里塚だ。

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