説明板には、慶長19年(1614)洗馬宿の間宿に
併せて塚が築かれた。当時の面影はないが
中山道名称統一300年の年に碑を建てた、と
記されている。
名称は中仙道から中山道に変更された。 |
本山宿と贄川宿の間にあった立場に築造された
一里塚は江戸から61里なので六十一里塚とも
呼ばれていた。
写真は岐阜の三好から提供して頂きました。
街道地図 |
本山宿が開宿された慶長19年(1614)に築造
されたが今は痕跡が無い。説明板に新型
コロナウイルス感染拡大のことが記されている
とはなんとユニークなことか。
写真は岐阜の三好から提供して頂きました。 |
国道19号を南下し桜沢トンネルの手前から旧道
に入り再び国道に合流して数分、国道の右側、
擁壁の上に若神子一里塚の右塚が現存。
標柱と説明板が建てられている。
街道地図 |