須永家本陣で、後に文化財となった「書の」発生経緯


 ①天保14年(1843)4月8日、地袋に「富士山の図」が描かれたが、これがスタートになる。
  

 ②天保14年4月11日、休憩で立ち寄った徳川斉昭が「富士山の図」をまじまじと鑑賞。
  そして和歌を一首。  利根川の水は鏡か真なる 思ひするがの不二のうつし絵


 ③本陣では、その書を桐の箱に収めたのだが、斉昭一行は4月22日の帰路に再び休憩。
  その際、従者の佐藤延昌がその由来を箱書き


 ④忍藩の国学者・黒沢翁満が斉昭の和歌と箱書きを見て一筆
    世にいきほひあるあたりと いえども、これを給はらむこと ・・・・・・・・・ 

 上記4点は、いずれも羽生市指定の有形文化財となっている。