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街道松 東海道五十三次道中記 街道松
巡見街道を通って桑名宿へ  伊勢大橋は中程に信号機がある長〜い橋。   街道地図
佐屋三里の渡しは佐屋川の土砂堆積により廃止となってしまう。一方、佐屋から巡見街道を通って前ケ須(現弥富市)まで歩くと
ふたつやの渡しで桑名まで行くことができた。ふたつやの渡しは前ケ須から桑名・長島方面への重要な交通手段であったが
明治5年
(1873)に新東海道が制定されると一層の賑わいとなった渡しである。
巡見街道:江戸幕府が諸藩の政情を査察する目的で派遣した巡見使が歩いた道。

平成18年4月19日

佐屋三里之渡跡碑黒板塀の民家まずは ふたつやの渡し跡を目指すべく「佐屋三里之渡跡碑」(左)前を出発
佐屋街道を須衣交差点まで戻り右へ曲がると巡見街道に入る。渡しの有る前ケ須(現弥富)まで約5km。事前の調査では見所がほとんどなく、ただただ歩くだけの街道になりそうだった。 

交差点から15分ほど歩き国道155号を横断。200mほど歩くと左側に「黒板塀の民家」(右)があるではないか。 思わず写真を撮ってしまったが これだけの長さの黒板塀は滅多に見ることが出来ない。


六角形の地蔵堂地蔵堂街道に戻らず黒板塀にそって1〜2分、見えたのは六角形という凝った作り「地蔵堂」(左)。こんな地蔵堂なら見るのも楽しい。この先 弥富までの間に何カ所も「地蔵堂」(右)があるので飽きることがない。 ちょっと休憩にも利用できるので有り難い地蔵様だ。

1時間ほど歩くとイオンタウンの広大な駐車場が出現。その奥に大型スーパーがあるのでトイレ休憩を。
  


街道に戻ると道は大きく右へカーブしているが巡見街道は真っ直ぐの道を行く。この先がちょっと分かりにくいが道なりに歩き、関西本線・近鉄名古屋線のガード下を通って左に曲がり、
すぐに右へ曲がって100mほど先の細い道を右に入るのが巡見街道。

右側の細い道が巡見街道弥富市歴史民族資料館細い道を歩き、国道1号の交差点を渡り さらに道なりに歩いて行くと道が二股に分かれる。 「右側の細い道」(左)が巡見街道で200mほど歩くと 「弥富市歴史民族資料館」 (右)に行き着く。 

歴史民族資料館は小さな資料館であるが職員の方が大変親切で、巡見街道の事を詳しく教えてもらうことができた。ありがとうございます。


ふたつやの渡し碑井桁屋先ほどの二股まで戻り左へ曲がると (国道方向から来た場合は右) 20mほど先の十字路際に「ふたつやの渡碑」(左)が。 かつては、ここから渡し舟が木曽川に漕ぎ出し対岸まで、さらに桑名までの渡舟となっていた。

ふたつやの渡碑の前を通って国道1号に合流し左に曲がると「井桁屋」(右)の建物が見えてくる。 歴史的に価値ある建物ということではないが、古いたたずまいに味噌・醤油・麦酒などと書かれた看板が郷愁をさそう。  


尾張大橋東海道石標井桁屋の前が「尾張大橋」(左)。この橋の下を流れる木曽川が愛知県と三重県の県境。尾張大橋は昭和8年(1933)に開通したが、翌年には長良川・揖斐川を渡る伊勢大橋も開通し ふたつやの渡しの役目が尾張、いや終わりとなる。 

尾張大橋を渡ると右側の歩道際に大きな「東海道石標」(右)があり刻まれている文字は明治廿六年四月一日。
そうか、ここも東海道だったのだ。ふたつやの渡しでここまで渡り、ここから長良川まで歩いたのだろう。


 十数分ほど国道1号を歩き、大きく左にカーブしたらその先で右側の旧街道に入って行く。

旧長島城大手門背の高い 宮/名古屋道道標小さな橋を渡り左に右にと曲がると蓮正寺という寺院があるが山門は「旧長島城大手門」(左)を移築したもの。瓦に2万石大名増山氏の家紋が残されている。

数分歩くと新しく出来た橋が見えるので渡りたくなるがこの橋は渡らず左に。
曲がって50m程歩くと民家の前に「背の高い道標」(右)が立っており「前ケ須・津島 宮名古屋道」と刻まれている。左右の側面に刻まれた文字は「右くはなミチ」「左くはなみち」。


 道標前の大手橋を渡ったらちょっと寄り道を。

長島城跡大智院入り口の道祖神右へ曲がった先の中部小学校辺りが「長島城址」(左)。増山氏2万石の城であったが、その昔は一向一揆が城を支配した時期があり織田信長と激しい戦いを行った城でもある。 

大手橋に戻り数分歩いて突き当たりを右に曲がりさらに田んぼの中の道を5〜6分歩くと丁字路。
ここでも寄り道を。 右へ曲がりしばらく歩くと寺院が2軒。2軒目の大智院入り口に可愛らしい「道祖神」(右)が。 


河合曽良の句碑芭蕉句碑山門前の石碑は奥の細道紀行に同行した「河合曽良の句碑」(左)。
 ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩の原   曽良
大智院は曽良の叔父の寺であるが 曽良が腹を病み身を寄せ静養した寺であった。

山門を入ると、境内の中程にあったのは「芭蕉句碑」(右)。
 うき我を さびしがらせよ 秋の寺   はせを
芭蕉が伊勢神宮遷宮参拝に行く途中、曽良が静養している大智院に宿泊したときの作。


蕉翁信宿処の碑伊勢大橋と長良川河口堰また山門脇には「蕉翁信宿処」(左)と刻まれた碑があるが、これは時の藩主増山正賀(まさかた)自筆の書で、芭蕉翁来訪100年を記念して建立されたもの。  

大智院を出て目の前の堤防に上がると下流彼方に見えるのはこれから渡る「伊勢大橋」(右)。長良川・揖斐川の両河川に跨っている橋だが 見た目にもずいぶん長そうな橋だ。


伊勢大橋蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)橋の中間に信号機がある「伊勢大橋」(左)は昭和9年(1934)に開通した橋で全長1.1km。
橋の中頃で車が皆止まってしまったので「どうしのだろうか」と思ったら信号機が有るのです。しかも橋の右側から車が入ってくるのにはビックリ。長良川と揖斐川の間の堤が道路なんです。

伊勢大橋を渡り左に曲がってしばらく歩くと彼方に新しくできた「蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)(右)が見えてきた。桑名七里の渡し場が近い。


巡見街道から桑名への街道は 「ただただ歩くだけの道」 という認識であったが、どうしてどうして楽しく歩くことが出来た。佐屋街道・巡見街道と回り道をしてしまったが、宮宿から桑名宿までを陸路で繋ぐことが出来たので満足な街道歩きであった。

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