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街道松 甲州街道 道中記 街道松
街道地図
(10)横山宿   横山宿にも「追分け交番」がありました
北条氏照を城主とした八王子城が天正18年(1590)に落城し城下町が消滅。その後、五街道制定に伴い本格的な宿場街の建設が行われ、
江戸中期ごろまでにほぼ完成。横山宿は別称八王子十五宿とも言われており十五の宿場街から形成されていたが、中でも横山宿が本陣・
脇本陣を持ち中心的な宿場であったので一般的に横山宿と呼ばれていた。

 平成18年9月13日

甲府・大月の文字が見えてきた大和田橋

日野台から国道20号の坂を下って大和田町に入ると これから向かう「甲府・大月の文字が見えてきた」(左)。甲府まではまだまだ先だ。八王子バイパスの先から左側の旧街道に入りしばらく歩くと再び国道20号に合流。

合流したところが浅川に架かる「大和田橋」(右)の袂。この橋にはB29から落とされた焼夷弾の跡が残されており一部はガラス越しに見ることができる。江戸時代からはちょっと離れた話でした。 この橋を渡るといよいよ横山宿。


竹の鼻一里塚跡碑芭蕉句碑

橋を渡ったら真っ直ぐ行かず信号を渡って右に曲がり中学校の先を斜め左に入る道が旧甲州街道。左に入ってちょっと歩いた先の竹の花公園(江戸時代の地名は竹の鼻)に12番目の「竹の鼻一里塚跡碑」(左)が建てられている。

公園隣の永福稲荷神社は生姜祭りが有名だが、神社の裏にあったのは 日影塚の碑 と言われる「芭蕉句碑」(右)。
    蝶の飛ぶばかりの野中の日影哉   芭蕉翁
ここに芭蕉句碑とはちょっと違和感があるが当地の女流俳人 松原庵星布が建立。現在の碑はその2代目。

この先は突き当たりを左に曲がり国道20号に出たら右に曲がる道が旧甲州街道。この後は追分けまで一直線。


 ここから平成18年9月21日

市守大鳥神社鳥居人力車

国道20号を右に曲がるとすぐに見えたのが「市守大鳥神社鳥居」(左)。この神様は市場の守護神 、 横山宿・八日市宿で行われる市の取引きが平穏無事であるよう守っている。

市守大鳥神社の先が横山宿だが江戸時代の面影は残っていない。と思っていたら明治時代がありました。「人力車」(右)です。この人力車は現役で、一人10分500円なり。横山宿には本陣・脇本陣があったが今はそれを探す手がかりが無い。


八日市宿跡碑蔵造りの商家

横山宿の隣が八日市宿であるがここも昔の面影はない。宿場町であったことを教えてくれるのは八王子市夢美術館の前に建てられた「八日市宿跡碑」(左)。八日市宿の次は八幡宿、本郷宿と続く。

しばらく歩き本郷横丁東の交差点まで来るとかなり大きな「蔵造りの雑貨店」(右)があるではないか。小江戸川越では多く見かけるが八王子では珍しい。店の御主人に伺ったところと築130年ほどだという。 

この先街道は八木宿を通って追分けまで10分ほど。


追分け

銀杏並木の甲州街道一直線だった甲州街道も 「追分け」(左)で左に曲がって行く。内藤新宿の追分けでは青梅街道と分かれたが、ここで分かれるのは直進する陣馬街道

八王子警察署追分交番内藤新宿の追分けに追分交番があったが、こちらの追分にも追分交番」(右)がありました。

歩道橋に上ると「銀杏並木の甲州街道」(右)が西に真っ直ぐ続いており見事な眺め。


甲州道中高尾山道標千人同心屋敷跡記念碑

歩道橋を降りた所に大きな「甲州道中高尾山道標」(左)が建てられている。正面に「左 甲州道中高尾道」右側面に「右 あんげ道(陣馬街道の別称)と刻まれているが補修した跡が痛々しい。
コメント:その後、歩道橋から20mほど西八王子寄りに移設。  

陣馬街道の入り口に建てられた石碑は「千人同心屋敷跡記念碑」(右)。関八州防衛の拠点として徳川家康が甲州武士に西側の防衛を行わせたのがスタートで、最盛期には千人の同心を抱えていたという。


馬場横丁道標旧道説明碑

追分けから10分ほど歩くと交差点際に「馬場横丁道標」(左)が建てられているが、ここは千人同心のための馬場訓練場があった場所。

さらに先へ歩き長房団地入り口交差点で右に入る道が旧甲州街道。右に入るとすぐに右高尾山と刻まれた道標があり 傍ら旧道説明碑を拡大「旧道説明碑」(右)。当時は街道が鍵の手に曲がっていたことを説明している。こういう碑を造ってくれるとは嬉しい。わずかな区間であったが懐かしい雰囲気を味わわせてくれた旧街道であった。


万葉歌碑大衝羽根樫

再び国道に合流したら次の交差点で左に入り、「万葉歌碑」(左)を見るために万葉公園に寄り道を。
 赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 かし(歩行)ゆかやらむ 巻20ー4417
防人に出かける夫に馬を持たせたいが・・・・・

国道に戻りちょっと歩くと市役所横山事務所の脇に「大衝羽根樫」(左)の大木がそびえている。構造上から「一里塚」という説もあるが そうではないらしい。ちなみに長房団地入り口の道標近辺が「一里塚跡」だという説もある。

旧甲州道中黒板塀の民家

国道20号に戻りしばらく歩くと武蔵陵墓地参道の石標があるが ここは昭和天皇など四陵がある多摩御陵(武蔵陵墓地)

御陵参道入り口の先に右に入る道があるがその入り口の表示は「旧甲州道中」(左)。旧街道に入ると とたんに静かな雰囲気に。かすかに車の音は聞こえるが静かな街道がどこまでも続きゆったりした時間が流れている。静寂な街道に「黒板塀の民家」(右)がよく似合う。

静かな街道も高尾街道に突き当たると とたんに騒々しくなる。ここからは再び国道20号を歩きJR高尾駅前を経て駒木野宿へ。
  

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