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中里介山の大菩薩峠
月見寺と月見ケ池 絵になります。 |
相模国から甲斐国へ入って最初の宿場が上野原宿。本陣1,脇本陣2,旅籠20軒という規模の宿場であったが
現在は宿の中心を国道20号が通っており かつての宿場の面影は少ない。 |

相模国から甲斐国に入り乙女坂を登り切った所が「諏訪番所跡」(左)。関所跡と言えば分かり易いが甲斐24関の一つ。諏訪番所跡標柱と諏訪関跡碑が建てられている。 この番所は当初はもう少し先に置かれていたが関所破りが多かったのでこの地に移設。
番所跡からは平坦な道だが乙女坂の疲れが出た頃に見えたのが「諏訪神社」(右)。ベンチがあり神社前の商店には沢山の自販機もあるので休憩に丁度良い。
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諏訪神社からしばらく歩くと「旧甲州街道」(左)と刻まれた道標が据えられているが、この碑にちょっと苦言を。「あいさつをかわす思いやりの道」などと余計な言葉が刻まれていることだ。そこへいくと吉野宿本陣跡の「聖蹟」とだけ刻まれた石碑は秀逸。
さらに先へ歩き中央高速を越えると見えたのが「疱瘡神社の朱鮮やかな鳥居」(右)。ここは塚場一里塚があった場所で説明板が建てられている。この一里塚は珍しくモミの木が植えられていたのだとか。
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この先しばらく歩くと国道20号に合流し上野原の繁華街へと入って行く。繁華街の中心辺りが上野原宿の中心でもあった。
国道20号合流点から10分弱歩くと「上野原宿脇本陣跡」(左)に到着。といっても標識などは無い。ビジネスホテルルートインが脇本陣があった場所。ルートインさん、説明板等を建ててくれると嬉しいのですが。
ルートインの先に東電の営業所があるが横の路地を入った奥が「上野原宿本陣跡」(右)。堂々たる屋敷門が残されており往時の面影を感じることができる。
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 あっという間に宿場を通り過ぎそうなので ちょっと寄り道を。本町交差点を右に入り坂道を数分歩くと上野原小学校の横。校庭の端に「樹齢850年のケヤキ」(左)の大木が見える。これは大きい。850年も生きるなんて羨ましいね。
小学校の裏に見える池は「月見ケ池」(右)という風流な名前の用水堀。上野原用水の溜め池で昭和に入ってから作られたもの。月見ケ池 という名称は中里介山に関係が有りそうだ。
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月見ケ池の先にある寺院が通称「月見寺」(左)。中里介山の小説 大菩薩峠の中に 「甲州上野原の月見寺の時の ・・・」 と記されているモデルの寺がこの保福寺。「月見ケ池」という名称は月見寺の前に有る池だからなのだろう。
保福寺の山門脇の石碑は「芭蕉句碑」(右)。
父母の しきりにこひし 雉子の聲 はせお翁
芭蕉さんも両親を思い出してホームシックになってしまったのかな。
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街道に戻り少し歩くと三叉路。左へ曲がる道が国道20号だが、さらにその左にある細い道が旧甲州街道。
旧街道に入るとすぐの右側に「木食白道上人加持水井碑」(左)と井戸枠が見える。水に困っている村人のために白道上人が祈祷しその場所に掘った井戸が村人を助けたという。寛政9年(1797)の話。
コメント:木食白道は、木喰仏の作者である木喰五行上人とは違う。
さらに旧街道を進み中央高速が見えたら三叉路を右に入り国道20号を歩道橋で越え坂道を下って行く。木の間越しに時々見えるのは「鶴川と鶴川橋」。 鶴川橋を渡ると次の宿場・鶴川宿。
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