   
| (16) 関野宿 この宿場も大火でほとんどが焼失してしまった |
関野宿も本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒、街道沿いの戸数わずか25戸という小さな小さな宿場であった。
今の関野は かつて宿場町であったことを忘れてしまったかのような静かなたたずまいの町。
ただし国道20号を大型トレーラーが行き交い騒音だけは凄い。 |

小猿橋跡から国道20号を15分ほど歩くと大木が見える。無粋な看板が目障りだが その右側の大木は樹齢300年の「エノキ」(左)。エノキ と言えば一里塚に植えられた木。ということは ここに一里塚があったのだろうか。あったとすれば藤野一里塚であるが説明板にその記述は無い。
エノキから数分先の交差点で右から下ってくる道が国道に合流。この道は八王子の追分けで分かれた「陣馬街道」(右)で 和田峠を越えてここに到着。分かれた道に再び会うことができた。
コメント:この道は途中で分岐しており上野原へ出ることもできる。
|
藤野駅の先から左へ下る細い道が旧甲州街道。が、そのまま国道20号を歩いてしまい、気がついた時は大分先まで来てしまったようだ。
しょうがない、このまま進むか。JR中央線の上の陸橋を渡り5〜6分ほど歩くと関野宿に入る。 |

ここで見落としそうなのが「関野宿本陣跡説明板」(左)。生け垣の陰、しかも甲府方向を向いているとは意地悪だなー。説明板によると明治21年(1888)とその後の大火で本陣及び宿場の面影を残す建物はほとんど焼失。火事は恐ろしいことだ。
数分先の増珠寺参道脇の庚申塔に「関野宿講中」(右)と刻まれているが、これが唯一往時の面影だろうか。
|

増珠寺の先も国道20号をしばらく歩き名倉入口の信号が見えたらその横を「左へ下る道」(左)が旧甲州街道。道なりに歩き境川に架かる「境沢橋」(右)を渡ると相模国から甲斐国に入り、いよいよ甲斐路の旅。
数分歩くと桂川に架かる 境川橋の前に出る。桂川もかつての国境で境川橋を渡ると相模国に戻ってしまうのでこの橋は渡らない。
|
旧甲州街道は境川橋を渡らず「Uターン」(左)して左側の坂を上っていく。坂を上ると旅人を厳しく監視した諏訪関所が待っているが、
なんと関所に通じるこの坂を乙女坂と呼んでいた。「関所と乙女」 どうもしっくりしないなー。「関所と山賊」の方がまだしっくりするよ。
後で気がついたのだが今回の旅では何回か旧甲州街道を踏み外して国道20号を歩いている。
慎重に事前の調査を行わないといかんなーと反省しきりの旅であった。
|
前の宿場吉野宿 次の宿場上野原宿へ 表紙へ戻る
|