   
| (15) 吉野宿 その昔、「小猿橋」という愛嬌ある橋があったそうです |
吉野宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒の小さな宿場であった。ということだが吉野宿があった藤野町(相模原市に合併)のホームページには
「遊女の濃艶なる姿、数百を数え・・・・」と記されている。はてさてどうなのだろうか。 |
坂道を下りに下って国道20号に出たら右に曲がるとすぐ先が「郷土資料館」(左)。外観はごく普通の建物であるが
中に入ると3階建てとなっており手斧(ちょうな)で削ったままの荒々しい柱が珍しい。ここは「ふじや」という格式の高い
旅籠であったが明治の大火で焼失し、その後は養蚕を行うための建物として建てられたものが現在の資料館。
ところで、資料館の方と話をしていると坂を下って来る途中で旧街道を外れてしまったことが分かった。観福寺の左側を
廻ってきたが右側の通称 赤坂 を下る道が旧甲州街道のようだ。標識が無いので道なりに下ってしまったのが無念。
しかしあの坂まで戻るのはちょっと・・・。
コメント:国道に合流する手前に高札場跡の標柱があったようだが見落とした。
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資料館反対側の説明板が建てられた場所が「吉野宿本陣跡」(左)。木造5階建ての大変大きな建物であったが明治29年(1896)の大火で土蔵以外の全てを焼失してしまったのが残念。土蔵だけは今も残されている。
説明板の後方に「聖蹟」(右)と刻まれた大きな石碑が。「明治天皇・・・・」などと言わず「聖蹟」の二文字だけ。垢抜けているねー。
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 数分歩いた先の「吉野橋」(左)の袂にある「子猿橋説明板」(右)によると、かつて、この下流側に大月の猿橋と同じ構造の橋が架けられていたが、その規模が少し小さいことから 「子猿橋と呼んだ」 と記されている。猿橋より小さいので子猿橋。小猿とは可愛いじゃないですか。
ところで、いつの間にか吉野宿を出てしまったが、「数百を数えた濃艶なる遊女」はどこにいってしまった? |
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