街道に戻り次に目指すは江戸36見附の一つ 四谷見附。真っ直ぐな道が突然右に曲がってしまうが ここが四谷見附。四谷駅前を右に曲がると見える石垣は「四谷見附跡」(左)。 当時は街道を右に曲がり見附で左に曲がって 喰い違い橋 と言われた橋を渡り左に曲がった後、再び右に曲がる道が甲州道中(甲州街道)であった。つまり街道がコの字に曲がっていたことになる。理由は防衛上。
四谷見附から数分歩いた先を左に入ると突き当たりに西念寺という寺があるが ここに「服部半蔵の墓」(右)がある。その近くに服部半蔵が建立した家康の長男信康の供養塔も。
「於岩稲荷田宮神社」(左)と「於岩稲荷陽運寺」(右)が道路を挟んで対面。お岩さんは実在の人物で その美徳を祀った神社が田宮神社。お岩さんの木像があるという寺が陽運寺。 江戸時代初期、お岩さんはお稲荷さんを信仰して傾きかけた家を再興したという貞淑な妻。庶民に人気が高かったが二百年後も高い人気だったのでこの人気を借りて仕立てあげたのが四谷怪談。原作者の鶴屋南北は悪いヤツなんですよ。ヒットすればなんでも有りだとばかりに 庶民に人気があった お岩さんと、おどろおどろしい事件をミックスさせ粉飾に粉飾を重ねて四谷怪談を作り上げてしまったのだった。
街道に戻り5分程歩くと四谷4丁目交差点で道は二つに分かれる。右側の新宿通りが旧甲州街道。交差点先の左側に「四谷大木戸跡碑」(左)がある。大木戸跡が確認できるのはここと高輪大木戸跡の2カ所。大木戸の内側が江戸の街、さらに見付の内側が江戸城内。
大木戸跡碑先の新宿御苑大木戸門まで歩くと植え込みの中に「内藤新宿開設300年記念碑」(右)が建てられており 「元禄11年(1698)に開設されるも、享保3年(1718)に廃止、54年後に復活」と記されている。
街道に戻り十数分歩いて右に入った奥の太宗寺に寄り道を。入り口の右側に「金銅大地蔵尊」(左)が鎮座。東海道品川宿の品川寺(ほんせんじ)にもあった江戸六地蔵の一つ。お地蔵さんと言えば丸頭がトレードマークだが このお地蔵さんは菅笠を被っている。
右側の閻魔堂の中で「閻魔大王」(右)がギョロ目で睨みを効かせている。金網越しに「にらめっこ」をしてみたが十王の頂点閻魔様には負けるわな。左側には奪衣婆像があるが金網で見づらい。
街道に戻り新宿三丁目交差点まで来た。ここは青梅街道との追分けだがそれらしい物は何も無い。何か無いかと探したら有りました、追分けが。交差点右側に「新宿追分交番」(左)が。この交番のお巡りさんは道案内で大忙し。
追分けで左に曲がり次の交差点を右に曲がる道が甲州街道であるが真っ直ぐ行くと江戸時代から「時の鐘」(左)を鳴らし続けている天龍寺。内藤新宿で夜通し遊ぶ人々を追い出すために鳴らしたのだとか。新宿というところは昔も今も変わりませんね。
牛ケ窪地蔵尊の前を通り中野通りを越えて緩い坂を上っていくと数分で京王線笹塚駅入り口に到着。この辺りは日本橋から約12km、昔の里程では3里ということになる。
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