| (23) 猿橋宿 錦帯橋・かずら橋・そして『猿橋』 日本三奇橋です |
猿橋宿は旅人の宿とともに 景勝「猿橋」を見学しようという遊山客で賑わった宿場でもあった。
猿橋の構造は「猿の群れが川を往来している様子」をヒントに作り上げられた橋だと云われている。
なんと推古天皇の時代(600年頃)の話。 |

大型トラックが引っ切り無しに行きかう国道20号から右側の静かな道に入り しばらく歩くと「日本三奇橋 猿橋」(左)の案内看板が。三奇橋の一つだと言われると見ないわけにはいかない。
左側の下り階段を降りると「猿橋」(右)の欄干が見える。 普通の橋と特に変わった様子は無い。しいてあげれば木製の太鼓橋といった風情の橋だろうか。
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橋の手前に「芭蕉句碑」(左)が有るではないか。
うき我を 淋しからせよ 閑古鳥 はせを
どこかで見たような句だなと思いをめぐらすと、旧東海道を旅しているとき通った三重・長島の大智院で見た句、
うき我を 淋しがらせよ 秋の寺 の季語の違いであった。
「猿橋から見た桂川」(左)は切り立った深い谷。よくもまあこんなところに橋を架けたものだと関心してしまう。
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 向こう岸に渡り少し下がった所から「猿橋」(左)を見るとなるほどと納得がいく。両側からすこしずつせり出した橋桁に・・・・・・難しいことはさておいて、この橋の構造が三奇矯の一つと言われる所以。
橋を渡って左手に歩くと、またまた「芭蕉句碑」(右)が。
かれ枝に 鴉とまりけり 秋の暮 はせを
侘びの世界ですかな。芭蕉さん、似たような句を幾つか作っているようですよ。
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街道に出ないで右手の公園を横切り大月市郷土資料館いくと「猿橋の模型」(左)と「猿橋宿の町並み模型」(右)を見ることができる。
橋はこんな構造だったのかと納得。橋脚の無い橋だったのです。
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街道に戻り町並みを歩いても昔の面影はほとんど感じられない。しばらく歩くと十返舎一九の 「諸国道中金之草履」の挿絵に使われたという青面金剛の「庚申塔」(左)が道端に。
その先右側(道路向こう側)に阿弥陀寺の石標が建てられているが、その傍らに 「一里塚跡標柱」(右)が建てられている。 標柱には猿橋と記されているが ここは23番目の殿上村一里塚。
一里塚跡の先、100mほど歩くと右へ下る道が旧甲州街道。
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