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(13)新田宿 街道地図
現存の一里塚に表示が無いとは、信じられないことだ
新田(しんでん)宿は戸数わずか50余、人口250名という小さな宿場であったが、それでも本陣、脇本陣を各1軒ずつ構えていた。
しかし今は本陣の門がポツンと残る寂しい宿場跡である。

 平成19年3月27日

石塔群右へ入る道が旧日光街道

小山宿を出て日枝神社の大ケヤキ横を通り過ぎると やがて喜沢の5叉路に到着。ここは壬生通りとの追分けで左に曲がると例幣使街道経由て日光へ行くこともできる。交差点の向こう左側に「石塔群」(左)が見えるが1基を除いては あまり古くはなさそうだ。

「旧日光街道」(右)は交差点を直進し50mほど先右側の細い道を入って行く。先人の記録を読むと「ここからが旧日光街道らしい道」と記されている。この先が楽しみだ。


旧日光街道喜沢の一里塚

右側の「旧日光街道」(左)に入ると雑木林があったり畑があったりと今までの街道とは大きな違い。道は狭く車はほとんど通らない。これはいいや。

ほどなく雑木林の中にこんもりとした小山が見えるが、ここは「喜沢の一里塚」(右)。残念なのは現存の一里塚であるにも係わらず表示が何もないことだ。


一里塚跡左側の道が旧日光街道

地元の人によると道路を挟んだ右側の小さな土盛りも「一里塚跡」(左)なのだそうだが真偽は分からない。それにしても、これだけ貴重な江戸時代の遺構に表示が無いとは小山市教育委員会の怠慢か、それとも単なる盛り土か。 どちらであっても、困るんだなー!

この先の旧日光街道は東北新幹線の右側に移ってしまうが20分ほど歩くと旧日光街道は新幹線のこちら側に戻り「左側の道」(右)に入って行く。    


本陣跡の門十九夜塔

住宅地内の狭い道を進むと国道4号に合流。ここからしばらくはトラックに付き合いながらの街道歩き。ほどなく左側にちょっと大きな門がポツンと見えるが、この門は「新田宿本陣跡の門」(左)。新田宿で往時の面影というとこの門のみ。ちょっと寂しいかぎりだ。

この先、少し歩き吉田神社跡碑の横を入ると地蔵堂の前に如意輪観音が彫られた「十九夜塔」(右)がある。文字だけの塔より有り難みがあるねー。


旧日光街道と現日光街道(国道4号)が重なっているところは往時の面影がほとんど残っていない。新田宿もまさにその例だが、これも仕方ないことですかな。

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