満開の桜の向こうにお寺の本堂がかいま見える、風流な構図だねー |
14番目の宿場である小金井宿は当地の西側にあった金井村が現在地に移住し小金井村と称して宿場となったもの。
当宿場の南入り口で左右現存という貴重な一里塚が見られる。これは日光街道唯一の国指定史跡。 |
 国道4号を北上し銅市金属工業の横を入ると すぐに道標を兼ねた「多数の石仏」(左)が並んでいる。
この先の旧日光街道は用水沿いだというが、どうもはっきりしない。それらしい道を選んで歩いていたのだがなんとも心もとない。そうこうしているうちに国道4号に出てしまった。
仕方がない、このまま国道4号を歩くとするか。 しばらく歩くと「下野市」(右)の表示が。 小金井宿が近い。なんとか旧街道に復帰したいものだ。
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 下野市の表示を見たら次の交差点を左に入ると最初の南北に交差する道路が旧日光街道。住宅街の中の道を北上すると「旧日光街道は行き止まり」(左)となってしまった。
一旦国道に出て左に曲がり20メートルほど歩くと目の前が「小金井一里塚」(右)。この一里塚は左右とも現存という貴重な一里塚で国指定史跡。だが残念なことに前後の道は畑や住宅地に変わってしまい「塚」だけが残ったという珍しい一里塚になってしまった。
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 一里塚から7〜8分歩くと左奥に「慈眼(じげん)寺」(左)が見える。山門を入ると今まさに桜が満開。桜の向こうに本堂がかいま見えるとは風流な構図ですねー。
山門や本堂の屋根瓦には葵の御紋が使われているが慈眼寺は歴代将軍のお休み処だった。
本堂の右手前には江戸時代の建立だという総欅造りの「鐘楼」(右)がそびえており、左手はやはり江戸時代建立の朱塗りの観音堂。
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 慈眼寺の隣の神社は 「黄金の湧き出づる井戸」 の意味を持つという「金井神社」(左)。 この神社は江戸末期の建立と伝わっているが「黄金が湧き出る井戸」とは羨ましいね〜。
金井神社のちょっと先にある屋敷門は「小金井宿本陣門」(右)。表示等が無いのでうっかりすると通り過ぎてしまいそうだ。
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 本陣跡門の対面の建物は「旧呉服屋の蔵造り店舗」(右)。珍しく漆喰塗りの白壁。この辺りは大谷石を積み上げた蔵が多いがやはり白壁の蔵がいいねー。
このまま国道4号の右側を数分歩き交差点を右に入ると「蓮行寺」(右)。徳川将軍が日光参詣の際には宇都宮城の城主が蓮行寺で出迎えを行ったのだとか。
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 蓮行寺を出た後はしばらく国道を歩き再び旧日光街道に入るのだが入り口が分かりずらい。左側のパチンコ店の駐車場を横切って旧街道に入って行く。
左の写真の装置は何だか分かりますか。昔の「脱穀機」(左)なんです。どういう分けか道端に捨てられていたのですが懐かし〜い。 コメント:脱穀機は今はありません。
脱穀機の先には「畑の間を旧日光街道」(右)が北上。なんと、雲雀のさえずりが聞こえるがそれも1羽ならず向こうの方でも。のどかだね〜。
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