雀宮宿(すずめのみやしゅく) なんともロマンのある宿場名だが、実は悲しい伝説がある |
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雀宮宿は宿内にある 雀宮神社 に由来している。この宿場も石橋宿と同様に当時の街道と現在の国道4号が重なっており
宿の長さも5町20間(600m弱)と小さな宿場であった。 |
雀宮宿に入る少し手前の国道右側に立っている石柱は「茂原正観音道」(左)と刻まれた道標。 これは下野三十三観音霊場の二十番札所への案内。
しばらく歩くと日本橋からの99kmポスト発見。見どころの無い道を歩いていると「ゾロ目(揃目)」(右)というだけで新発見をしたような。
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雀宮町に入ると左側の駐車場の端に「雀宮本陣跡碑」(左)が建てられている。小さくはないのだが、うっかり見落としてしまいうろうろと探し回ってしまった。
その先右側の黒い屋敷門と立派なお屋敷が「雀宮宿旧脇本陣芹谷家」(右)。今の雀宮は街道沿いのひなびた町、という雰囲気だが車だけは多い。車の切れ目を探してシャッターを押したのだが車の列がなかなか切れんのよ。
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脇本陣跡から数分先の神社は宿場名にもなった「雀宮神社」(左)。ロマンチックな名称だが幾つかある云われの内の一つ「紅雀伝説」をご紹介。
藤原実方朝臣を追ってここまできた彼の若妻がここで死去。一方、実方朝臣も落馬で命を落としてしまうが紅雀となって奥方の埋葬されている場所まで飛来し、ここで息絶えてしまったのだとか。
雀宮神社の前に「100kmポスト」(右)が建てられている。特にどうということは無いが 区切り ですかね。
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国道をテクテクと30分、左のちょと奥まったところに見える派手なお堂は「寿鶴(すず)薬師堂」(左)。屋根も壁も扉も真っ赤。派手だナー。小さいけれど存在感あるよ。
さらに20分ほど歩くと「一里」(右)というバス停があるが、ここは26番目の江曽嶋一里塚があった場所。今はバス停の表示だけになってしまった。その先の交差点に「東京街道」(右)の道路標示が。東京へ向かう街道ということだが、ここは栃木県、ピンと来ないナー。
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日光街道とは直接のつながりは無いが雀宮駅ホームで珍しい物を発見。
ホームへの階段を降りたところの左右に「古ーい街灯」(左)が建てられている。柱根本部分に「鐵道院」(右)、横へ回ると「明治四十五年七月製造」(右)とある。駅舎改築担当者の心遣いが この街灯を残してくれたのでしょうね。
参考までに:雀宮駅の開業は明治28年(1895)です。
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