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(18)徳次郎宿 街道地図
二宮金次郎像を見たのは小学校以来かなー

徳次郎(とくじら)宿は上・中・下の3宿に別れ 総戸数160余、総人口650人余であったが、上・中・下の各宿に本陣・脇本陣を
構えており旅籠も72軒と多く、他の宿場に比べ日光街道への依存度が高い宿場であった。


 平成19年4月18日

高谷林一里塚を見た後、高速道路の下を通って10分ほど歩くと左側の植え込みの中に「石碑」(左)が立てられている。日本最古の磨崖仏がある大谷観音へ通じる道があった時代の道標で、刻まれている文字は「大谷道」(左)。

この辺りから徳次郎宿だが宿場町であったという雰囲気は感じられない。「大谷石造りの蔵」(右)が多い旧徳次郎宿であった。


15分ほど歩き徳次郎交差点まで来ると左に入る細い道の入り口に「田中道道標」(左)が根本からポッキリ。可哀想に。
  コメント:その後、撤去され今は無い。

しばらく歩いた先に天高くそびえているのは「智賀都(ちかつ)神社の夫婦ケヤキ」(右)。樹齢はなんと700年。700年も連れ添っているとは仲がいいね〜。

外久次郎という地名の由来であるが、日光の久次郎(くじら)氏の一部が千勝(ちかつ)の森に日光二荒山大神を祀ったとき、この地で外久次郎(とくじら)と名乗ったのが「徳次郎(とくじら)」の由来と云われている。


道路の真ん中に木札が立てられており「徳次郎六本杉」(左)と記されている。今は若杉が6本だが、かつては大木があったのだろう。

10分ほど国道を歩き、右へ下って「宝木用水」(右)を見に行くことにした。
二宮金次郎が設計した二宮堰(今はごく普通の堰)から、徳次郎、宝木を通って宇都宮まで続く宝木用水は今でも堰から取水した水を流し続けている。


街道(国道119号)に戻り左側の遊歩道を歩いて行ったのだが、これが間違いだった。
遊歩道の端に如意輪観音を乗せた「十九夜塔」(左)を見つけたがこの近くに一里塚があるはず。ところが・・・無い。

「一里塚というバス停」(右)があるのみ。家に帰って歩かれた方の記録を読むと どうも右側にあったようで完全に見落としてしまったらしい。残念!


10分ほど歩くと道端の標柱に二宮尊徳先生遺跡 石那田堰とある。
右に200mほど下ると石那田堰に関する石碑に混じって「二宮金次郎」(左)の石像があるではないか。いやー懐かしい!小学校で見て以来だ。昔と同じだねー。

街道に戻り遊歩道を1時間近く歩いただろうか。御堂の中に鎮座しているのは「お願い地蔵」(右)。身体の悪い所と地蔵の同じ所に赤い布を付けてお願いすると治るという。


この後も桜並木の下を歩くのだが満開をちょっと過ぎた桜もいいね〜 風が無いので花びらがハラハラと舞い降りてくるが この風情はなんと表現したらいいのだろう。

しばらく歩くと見事な鯉のぼり。飽きないね〜。
しかし桜並木や檜並木ばかり、杉並木がなかなか見られないが 気を持たせるね〜。

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