国道の向う側に墓標が見えるが、これは三浦相撲の発展に尽くした錦嶌部屋の親方「錦嶌三太夫供養墓」(左)。寛政5年(1793)に亡くなった三太夫を供養するために三浦・鎌倉などの素人相撲の力士たちによって建立されたもの。台座部分が道標になっており 刻まれた道筋は「北 浦賀道 西
鎌倉道 南 三崎道」。
この先は緩い上り坂の国道134号を約20分、引橋交差点で西三崎道と合流して三崎へ下って行く。
交差点から5分ほど先のポケットパークは「引橋跡」(右)。鎌倉時代からの名門三浦氏は新興の北条氏に攻められ、拠点であった新井城に籠り引橋を落として3年間の籠城戦を行ったが永正13年(1516)に落城し三浦氏滅亡となった。 |