第22宿岩村田宿
いわむらだじゅく |
岩村田宿は内藤氏1万6千石の城下町。本陣・脇本陣は無く、旅籠も9軒と小さな宿場であったが
善光寺道、佐久甲州街道との追分であったことから経済の中心地として大変賑わっていた。
旧宿場街は商店街となっており往時の面影はあまり感じられない。 |
街道地図 |
| 平成21年2月4日 龍雲寺で思わぬ物 ? が発見されました。 |
中山道を歩かれている岐阜の三好様から鵜縄沢端一里塚跡の情報と写真を頂きましたので追加記載をいたします。
小田井宿を出てしばらく歩き佐久市に入ると 横根入り口というバス停があるが、その手前の林の中に「鵜縄沢端一里塚跡説明板」(左)が
立てられている。
説明板に「中山道開通当初に設置されたものだが、道路改修工事で街道から外れてしまった」とある。
三好様の情報では「西塚だけ残っているが植物が茂り見ることはできない」とのことです。
この写真は三好様から提供していただきました。 |
小田井宿を出てから時々振り返ると先日噴火した浅間山が今も噴煙を上げているのがよく見える。
ショッピングモールの横を通り、高速道路の上を越え、岩村田宿に入ると郊外型の店が並んだこれまでとはちょっと雰囲気が変わってくる。 |
 岩村田宿の入口にある住吉神社で見たのは「溶岩で造られた常夜灯」(左)。なんだかあまり格好よくないなー。隣の石塔は もともとは街道沿いにあった善光寺道道標(常夜灯隣の小さな石碑)。
神社を出て100mほど先へ行くと歩道際に「善光寺道道標」(右)が建てられているが、これは復元されたもの。江戸時代の道標は交通事故で破損したため修理されて住吉神社に移設したのだとか。道標(みちしるべ)に突っ込むとは困った自動車だ。 |
 道標から数分先を左に入った龍雲寺で思わぬものが見つかった。昭和6年(1931)に発見された骨壷から骨と短刀、袈裟環が出てきたのだが、なんと、これが武田信玄の遺骨と確認されたのだった。その場所には「武田信玄霊廟」(左)として五輪塔が建てられている。
街道に戻り岩村田交差点を右に曲がって数分、佐久酒造組合の前庭にある大きな自然石は「若山牧水歌碑」(右)。
白珠の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり
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 岩村田交差点まで戻り右へ曲がると かつての宿場町、今は「岩村田商店街」(左)。高崎宿以来の都会的な商店街であるが、その分、宿場時代の面影が失われているのが残念。
商店街の中ほどに「日本一小さい酒蔵」と染め抜かれた暖簾の酒店があるが、ここは「造り酒屋の戸塚酒造」(右)。300年の歴史があり今は15代目が暖簾を守っている。「少量でも品質の良い酒造り」 を目指した結果、日本一小さな酒蔵になってしまったのだそうだ。寒竹を一本買っていくとするか。 |
 造り酒屋対面の細い道を入った先にある西念寺に「仙石秀久の墓所」(左)がある。信長、秀吉、家康に仕え、初代小諸藩主となった秀久は鴻巣で死去し西念寺で火葬され葬られた。
中山道は商店街の先の相生町交差点を直角に右に曲がって行くのだが、ちょっと寄り道を。交差点の少し先を左に入って道なりに5〜6分、到着した場所は岩村田城跡。今は公園や小学校となっているが公園の一角に建てられているのは「岩村田城址碑」(右)。 |
 街道に戻り 相生町交差点を曲がるとすぐにJR小海線の踏み切りとなる。踏み切りを渡った先の「御嶽神社に多数の石塔」(左)があるが御嶽講の人達が長年かかって建ててきたものだろう。
この先は岩村田高校の前を通り、浅間総合病院の北側を回りこんで進むと突き当たりに見えるのは「相生の松」(右)。初代は樹齢200年以上の赤松と黒松だったそうだが現在の松は3代目。皇女和宮が降嫁の際、この場所で休憩し野点を行ったのだとか。 |
 街道はこの先から田園風景広がるのどかな道。15分ほど歩くと田んぼの向こうに鎮座しているのは荘山(かがりやま)稲荷神社。ここに「芭蕉句碑」(左)がある。
野を横に 馬引きむけよ 郭公(ほととぎす) 芭蕉
この先も坦々とした道が続くが街道際の墓地の中でちょっと変わった「石仏」(右)を発見。左側は大日如来であるが右側の仏様は正座して手を腿の上に乗せているように見えませんか。 |
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