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江戸湾に入る船舶の監視や海難救助を行っていた下田奉行所が享保5年(1720)に三浦半島の浦賀へ移転。江戸 ー 浦賀間の交通が頻繁になったことから東海道から分かれる二本の道が整備された。これが東と西の浦賀道である。
西浦賀道は東海道・戸塚宿から分かれ、笠間で鎌倉街道中道に合流し鎌倉に入る。 その先は鎌倉七切り通しの一つ、名越切通しを通って逗子・葉山に入り、葉山から三浦半島を横断。大津陣屋の先で東浦賀道に合流して浦賀奉行所に向かう。
今回の旅は東海道・戸塚宿の八坂神社前から西浦賀道(戸塚道)に入り鎌倉を経て葉山から三浦半島を横断し東浦賀道合流点までの旅とした。
東浦賀道合流点から先は東浦賀道 道中記を参照ください。 |