日光例幣使とは
伊勢神宮の神嘗祭に朝廷から幣帛を奉納するために遣わされた勅使を伊勢例幣使と称していた。
江戸時代の正保2年(1645)、 日光山・東照社に東照宮という宮号が宣下されたことで翌年、朝廷は臨時奉幣使を東照宮に派遣。
以降、毎年奉幣使が派遣されるようになり光例幣使の制度が定着。慶応3年(1867)まで221回、一度も途切れることなく続いていた。
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例幣使街道十四宿 |
日光例幣使の旅程
日光東照宮では4月15日から家康の命日である17日まで大祭が行われるが、この祭礼に間に合わせるべく、例幣使は4月1日に京都を出発。
例幣使の一行 (従者を含めて30〜40人) は草津宿から中山道に進路を取り、木曽路、信濃路を経て碓氷峠を越え上州へ。
4月11日に中山道・倉賀野宿から例幣使街道に入り、日光西街道、日光街道を経て4月15日に日光到着。
16日に奉幣を済ますと 「長居は無用」 とばかりに昼には日光を発ってしまう。帰路は、日光街道・東海道を通って帰京。
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