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街道松 東海道五十三次道中記 街道松

(7)平塚宿    番長皿屋敷の「お菊さん」は平塚出身でした。    街道地図 
七夕祭りで有名な平塚は宿駅制度発足と同時に宿場として指定。宿場の規模としては、本陣1件・脇本陣1件と
比較的小さな宿場であった。平塚市は宿場の史跡紹介を実に丁寧に行っており嬉しいかぎりである。

平成17年11月16日

二股分岐お菊塚相模川に架かる馬入橋を渡った先の「二股分岐」(左)は国道1号が右へ、旧東海道は直進。分岐する場所辺りが日本橋から15番目の馬入村一里塚が有った場所で懇切丁寧な説明板が建てられている。

平塚宿でまず目指すのは紅谷町の「お菊塚」(右)。
大型スーパー裏の小さな公園の一角にあった。お菊は平塚宿役人の娘さん。奉公先で見初められたお菊さんだが 言うことを聞かなかったので嫌がらせを受け ついには手打ちにされたという。  


平塚の里歌碑と江戸城の井戸枠平塚宿江戸見附跡街道に戻り商店街のアーケードを通って大きな交差点を渡った先に「平塚宿江戸見附跡」(左)が復元されており、標柱と説明板も設置されている。平塚市教育委員会は力を入れているな。

その先の平塚市民センター中庭に「平塚の里歌碑」(右)と「江戸城の井戸枠」(右)があるではないか。何故江戸城の井戸がここに。昭和32年(1957)、市政施行を記念して東京都からもらい受けたのだとか。


平塚宿脇本陣跡碑 高札場跡碑 平塚宿本陣跡標柱 西組問屋場跡碑
街道の右側を歩くと「平塚宿脇本陣跡碑」 「高札場跡碑」が続く。高札場跡碑の道路向こう側には「東組問屋場跡碑」。さらに先に進むと銀行の前に黒御影石で作られた「平塚宿本陣跡碑」、その前に「本陣跡」の標柱。その先の道路が二股に分かれた右側に「西組問屋場跡碑」と続く。いやー、よく整備されている。
ここから11月24日

平塚の塚鏡山お初の墓問屋場跡碑の前を右に入ると法要寺に突き当たるが山門は入らず左に曲がると公園の中に「平塚の塚」(左)がある。塚の上が平らになってしまったので里人が「ひらつか」と呼んできたが、これが平塚という地名の起こりとか。

公園を出て50mほど歩くと歌舞伎で活躍する「鏡山お初の墓」(右)がある。お初は奉公先の中臈 岡本みつ女 自害の現況である年寄沢野を訪ね、主の仇と沢野を小脇差で討ったという烈女。後に賞せられ年寄にまで出世。


 問屋場跡碑の前まで戻り旧街道を進むと国道1号に行き当たるが、ここを左折。

平塚宿京方見附跡左に曲がると次の交差点先に石垣が見えるがこれは復元された「平塚宿京方見附跡」(左)。
標柱と説明パネルが添えられているが平塚宿は空襲やその後の区画整理で当時の面影はほとんど残っていない。資料などを元に復元してきたのだとか。頭が下がる。

この先の花水川手前にあったのは「平成の一里塚」(右)。ベンチなども用意され「休憩場所としてどうぞ」とあるが夏は暑そう、冬は寒そう。


 平塚宿は比較的短い距離であったが実に丁寧に宿場を紹介しており気持ちが良かった。この先の花水橋を渡ると8番目の大磯宿。

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