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街道松 東海道五十三次道中記 街道松
(15) 蒲原宿  時が止まったような静かな町並みがありました。    街道地図
江戸から15番目の蒲原宿は安藤広重の「東海道五十三次 蒲原・夜の雪」が記念切手になったことで一躍有名に
なった宿場。温暖な地 蒲原に雪が降るの?などという野暮なことは言うまい。富士川を渡ったら岩淵村などの静かな
街並みを通って蒲原宿へ入る。
 平成17年12月21日
渡船場常夜灯光栄寺から見た富士山富士川を渡って まず目指すは渡船場跡。橋から上流へ200mほど歩いた場所に「渡船場常夜灯」(左)があるが、ここからの富士山の眺めは素晴らしい。ここには角倉了似の碑も有るはずだが歩道の補修工事のため撤去されており見ることが出来なかった。
コメント:角倉了似碑は元の場所に戻されています。

橋の近くまで戻り、国道をエイヤッと横断。右側の狭い道に入り坂道を登って行く。これがキツイ上り坂。上りきった右奥の光栄寺「富士山を見るには最高」(右)。庭の右手には題目碑も。  


岩淵の旧小休本陣岩淵一里塚光栄寺を出たら岩淵の街並みを眺めながらノンビリ歩くのがよい。時が止まったような静寂がなんとも心地よい。しばらく歩いた先の黒板塀に囲まれた建物は「岩淵小休本陣」(左)。無料で見学できるので拝見させてもらったが土間が子供の頃を思い出す。

岩淵の町並みに戻ると直線道路の彼方に大木が見える。たぶんあの場所がそうかもしれない。近づいてみると案の定「岩淵一里塚」(右)であった。江戸から37番目の一里塚で少々小さくなってしまったが両側が現存。


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秋葉常夜灯東名高速と富士山三島宿で初めて 秋葉常夜灯 を見たが、ここ岩淵から蒲原宿へかけては常夜灯が結構多い。「左写真の秋葉常夜灯」(左)は岩淵小休本陣横の物であるが、同じような形の常夜灯をあちこちで見かける。

一里塚の先1kmほどのところで左側に秋葉常夜灯を見たら200mほど先を右折する道が旧東海道。野田山不動明王の石碑の前を左に曲がり一旦下って再び上っていくと東名高速の上に。東名高速を渡る陸橋から見た「富士山」(右)も素晴らしい。 


この先は新坂を一気に下って行くが説明板によるとこの坂は天保14年(1843)に開通したもので、それ以前はこれより東南の七難坂を下ったようだ。坂を下りきったら突き当たりを右に曲がると蒲原宿。

蒲原一里塚跡碑北条新三郎の墓右へ曲がって数分、「一里塚」(左)と刻まれた石碑が建てられているが、ここは日本橋から38番目の蒲原一里塚跡。

ここも車どころか歩いている人も見あたらない静かな町並みだ。少し先の右を山の方へ登って行くと、ひっそりと立っていたのは「北条新三郎の墓」(右)。永禄12年(1569)、武田軍の攻撃で落城した蒲原城主の北条新三郎は常楽寺まで逃げ延びたのだが、寺に火を放って自害したと伝えられている。


蒲原宿東木戸の石柱枡型道街道に戻り少し先へ歩くと「蒲原宿東木戸の石柱」(左)があり ここから先が蒲原宿内。この一角には文政13年(1831)建立の常夜灯が柵で囲われ大事に保存されている。

また、その前の道は昔のままに「枡型道」(右)だ。敵の侵入を遅らせる役目を持った道路の構造だが、これだけの広さだとどうかなと思ってしまう。 が、当時はもっと狭かっただろうから効果があったのだろう。


木戸内に入るとすぐに巨大な4本の鉄管が山から駆け下りてくる。発電所の導水管だ。その先左側の民家の庭奥に見える木屋の3階建て蔵は天保9年(1838)建設で町内最古の土蔵。

なまこ壁の家蒲原・夜の雪 記念碑「なまこ壁の家」(左)発見。かつては佐野屋という商家だった町家造り。白と黒のコントラストが家全体をキリッと引き締めており正座している家そんな感じだ。

なまこ壁の家を通り過ぎた先の説明板は問屋場跡。問屋場跡の向かい側の路地を入り、100mほど歩くと広重の「蒲原・夜の雪 記念碑」(右)が建てられている。夜の雪は広重の東海道五十三次の中でも傑作中の傑作と言われ昭和35年(1960)には記念切手に。


旧旅籠 和泉屋総欅造りの家街道に戻ると右側の古民家は「旧旅籠 和泉屋」(左)。天保年間(1830〜44)の建築で安政の大地震でも倒壊しなかったというしっかりもの。

その先左側の由緒ありそうな黒板塀と屋敷門の建物は「蒲原宿本陣跡」(右)。全体を写した写真をお見せしたかったが黒板塀の真ん中に某大政党の大きな政治ポスターが貼られているではないか。ちょっと無神経すぎやしませんか。  


この先にも見所は多い。

総欅造りの家 御殿道碑 大正時代の洋館 志田家住宅 格子戸が美しい家
本陣跡の少し先に「総欅造りの家」。 その先には御殿があったという「御殿道」。 国の有形文化財である 「大正時代の洋館」は旧五十嵐歯科医院。 さららにその先には安政大地震直後に建設された「商家・志田家住宅」。  主婦によって磨き上げられた 「格子戸が美しい家」など江戸時代の息吹をたっぷり味わうことができる。

蒲原宿西木戸跡碑蒲原から由比への町並み街道を進むと突き当たりで直角に折れ曲がるが、ここを左に曲がると県道に合流。合流点が西木戸跡。この一角は木柵で囲われ、松が植えられ、水飲み場まであり、左端に「蒲原宿西木戸」(左)と刻まれた石碑も建てられている。

短い区間で江戸時代をたっぷり味わうことができたが、これから県道を西へ歩き由比宿に向かう道のりは約3km。


 追記:「温暖な地 蒲原に雪は降るの?」と冒頭で申し上げましたが降ったのです。平成18年1月5日、由比から歩こうと東海道線を乗り継いできましたら、小田原辺りから雪がちらほら降り始め、富士駅では真っ白の状態。その後も「蒲原」「由比」と雪でした。しかし午前中には止み、由比では積もりませんでしたが、江戸時代だったら積もったかもしれませんね。

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