今 渡ってきた「安倍川橋」(左)を振り返ると、その先に真っ白な富士山が見える。
立ち止まって地図を見ていたらお爺さんがバイクから降りてきて 「今日はどこまで行くかね」 「この間はチョンマゲを被った学生さんが歩いとったが」 「儂も歩いてみたいんだが歳だからなー」 いやいやまだまだお元気ですよ。
しばらく歩くと国道1号に合流。さらに数分ほど歩き「左に入ると」(右)丸子の街並み。
曲がるとすぐに御堂が目に入り吸い寄せられるように近づいてしまった。立派な「地蔵堂」(左)であるが由緒などの説明は無い。 地蔵堂の反対側で井戸端会議中のお母さん方が手招きしている。「こっちも見なきゃだめよ」。ちょっと奥まった所に「万葉歌碑」(右)がある。有り難う! さわたりの てごにいきあい あかごまが あがきをはやみ こととわず 巻14 3540 美しい娘に出会ったが乗っている馬の足が速いので声を交わさずに来てしまった
その先に見えるのは「お七里役所跡碑」(右)。由比宿でお七里役所跡を見たが、それから七里も歩いてきたことになる。
丁子屋のちょっと先左側に「細川幽齋の歌碑」(左)がある。安土桃山時代の大名歌人というからざっと400年前の人。信長・秀吉・家康に仕え、三代忠利から熊本城主となり、以降、明治維新を経て細川護煕まで18代続くというからすごい。
歌碑の手前の丸子橋を渡ると「高札場」(右)が復元されている。昔はこの前に多くの人が集まって、ため息をついたり落胆したり、人生を狂わされた人も沢山いたのだろうな。
しばらく歩くと駐車場の一角に「羅漢さん」が数体。長源寺という表示と起樹天満宮の石柱につられて左に入ると「羅漢さんがずらーっと並んでいる」(左)。疲れを忘れさせてくれるユーモラスな顔と仕草だ。
この先は国道1号に沿って歩いていくと道の駅に行き着く。 途中に片桐且元夫妻の墓があるがちょっと遠いので今回はパス。道の駅の先で左の階段を上ると江戸時代以前の古道つたの細道へ入れる。旧東海道は国道を跨ぐ「歩道橋」(右)を渡って行く。
歩道橋を渡り数分歩くと道が二股になるので左に入ると「宇津ノ谷集落」(左)。100mほどの坂道の両側に家が並んでおり子供の頃を思い出す風景だ。
中程の右側にある古民家は「お羽織屋」(右)。お羽織屋には豊臣秀吉から賜ったという羽織が有るそうだ。家康からも茶碗を賜ったという。 お羽織屋の手前を右に入ると十団子伝説が残る慶龍寺。
集落の突き当たりにある階段を登り「明治のトンネル」(左)を見ていくことに。 ひっそりとした先にオレンジ色のランプで照らされたトンネルが見える。トンネルを見に来たという男性が一人でトンネルに入って行ったが、何だか異次元の世界に向かっているような錯覚を。
旧東海道に戻り山の中の細い道を登って行くと今歩いてきた「宇津ノ谷の集落」(右)が一望できる場所がある。江戸時代の旅人もたぶんここで一休みしたんだろうな。
俳人雁山の墓などを見ながら山道を登って行くと石垣が有るではないか。その昔、頂上近くの斜面に地蔵堂を建てるために石垣を作ったのだという。石垣の上が広場になっており今は「地蔵堂跡」(左)として石碑が建てられている。
地蔵堂のすぐ上が「峠道」(右)でその先から下り坂。豊臣秀吉が小田原攻めのために10万の大群を率いて通り、徳川家康は関ヶ原に向かって20万の兵馬とともにこの道を通ったと思うとゾクッと身震いが出る。こんな狭い道ではさぞ難儀したことだろう。 明治のトンネルに入った男性は無事に平成の世に戻れただろうか。そういえば つたの細道を通って宇津ノ谷に戻ると言っていたが、ひょっとして江戸時代にタイムスリップしてしまったのでは。
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