表紙へ戻る  
東海道五十三次道中記
(33) 二川宿  さすが本陣は大きい!上段の間に座りたーい!  街道地図
遠江国から三河国に入ると最初の宿場が二川宿(ふたがわじゅく)。ここには草津宿本陣とともに旧東海道で2カ所しか
現存していない本陣建物の内の一つがあり、修復して一般公開している。資料館も併設されているのでぜひ見学して
おきたい施設だ。

 平成18年3月2日

白須賀宿を出て「国道1号」(左)に入るといよいよ愛知県。事前の調査ではこれから二川宿まで約4km。途中の見所は「一里山一里塚(東細谷一里塚)(右)の1カ所だけ。この一里塚は当時のまま残されている貴重な遺構だが残念ながら木が鬱蒼と茂り全体を見ることが出来ない。 

一里山一里塚の先も国道1号を歩き二川宿に向かうのだが、なんといっても東名阪を繋ぐ大動脈。大型トラックがびゅんびゅん通り過ぎてゆく。トラックとキャベツ畑を見ながら歩くこと1時間、地獄のウオーキングだ。神鋼電機の看板が見えたときはほっとした。
 注:神鋼電機は社名がシンフォニアに変わっています。


神鋼電機の前から新幹線のガードをくぐり小さな橋を渡り、東海道線の踏切先を左に曲がるといよいよ二川宿。商店の前に「一里塚跡碑」(左)がちょこんと立っている。一里山一里塚 からちょうど1時間、4kmの地点だ。

一里塚から100mほど歩き右に入った妙泉寺に寄り道を。ここで見たいのは境内にある「芭蕉句碑」(右)。
  阿ちさゐや 藪を小庭の べつ座敷  芭蕉翁    
この句碑は寛政10年(1798)に建立されたもの。


街道に戻り二川八幡神社鳥居を右に見て進むと「東駒屋」(左)と書かれた格子戸の立派な建物がある。個人のお宅ではなさそうだ。気になったので後日調べたところ、隣の駒屋から分家した味噌醤油を販売する会社でした。隣接する駒屋は問屋や名主などを務めた商家 田村家の遺構。建物は豊橋市の有形文化財。

東駒屋の少し先に東問屋場跡碑があるはずだが見落とした。その先右側の民家庭にあったのは「脇本陣説明板」(右)。 畳数93畳の規模とある。白須賀宿の本陣に比べるとかなり小さい。


二川宿のハイライトはなんといっても「二川宿本陣」(左)。現存していた建物を修復。いやー大きい! 平屋で総建坪233坪とは驚き。 

内部を見学して またびっくり。畳部屋がどこまでも続いている。その中の一角に「上段の間」(右)があったが、さすがに造りが違う。ここは見るだけで入れない。掛け軸を背に座ってみたーい。


本陣の先、数分の所に「高札場跡碑と道路元標」(左)が並んでいる。その少しには「西問屋場跡碑」(左)。

西問屋場跡碑から数分先の右奥は「大岩神明宮」(右)。 社伝によると文武天皇2年(698)に勧請したのが最初というから1300年以上の歴史。伊勢神宮には及ばないが凄いものだ。


街道に戻りさらに数分歩くと左側の雑貨店前に「立場茶屋跡碑」(左)がポツンと立っているが、この碑もワンちゃんの攻撃に遭っているようで全体が黒くくすんでいる。 ワンちゃん、トイレ代わりにするのだけは勘弁だよ。頼むぜ。

二川駅前を通り越して数分歩いた先の背の高い道標は「伊良胡阿志両神社道」(右)。中部建設協会発行の さんさくマップには渥美奥郡道の道標と記されているが、この道標のことだろう。正面側に刻まれた文字が 右東海道 。


 ここから平成18年3月3日
この先吉田宿まで結構長い距離、しかも見所の少ない道を歩かなければならない。JR二川駅から出発して右にカーブしながら県道を横切ると上り坂。 上り切った所にあるガーデンガーデンという花屋さん先の信号を左に曲がると、あとは一本道だ。

ワンちゃんが尻尾を振ってこちらを見ている。犬好きが黙って見過ごす訳がない。近づいてカメラを向けたら、なんとお座りしてポーズを決めてくれたではないか。 可愛いね!「このワンちゃん」(左)なら石碑をトイレ代わりにするなんて不届きなことはきっとしないと思うよ。

しばらく歩いていたら大きな大きな「街道松」(右)が1本だけ目に入った。素晴らしい松だが1本だけというのが寂しい。きっと松も寂しがっているよ。


この先1kmほど歩くと国道1号に合流、目指すは吉田宿。

前の宿場白須賀宿へ   次の宿場吉田宿へ    表紙へ戻る