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街道松 甲州街道 道中記 起動松
  街道地図
(18) 鶴川宿 牛頭天王宮・廿三夜塔 江戸時代がまだ生きていました
町並み二町三十間というから小さな宿場であったが、それでも本陣1、脇本陣2、旅籠8軒という規模であったのは鶴川の川留めに
備えたもの。 鶴川の渡しは歩行渡しが基本であったが冬期は板橋が架けられたようである。

 平成18年10月10日

旧甲州街道 鶴川宿道標鶴川宿碑

坂を下って鶴川橋を渡ると右側の整備された植え込みの一角に建てられているのは「旧甲州街道 鶴川宿道標」(左)。後ろには鶴川宿の案内板と休憩所も設置されており街道歩きには有り難い。

道標の先には「鶴川宿碑」(右)とこれより鶴川宿」(右)と記された大きな看板も。甲州街道を歩く人に「至れり尽くせりの接待」という感じでこの先の街道歩きが楽しくなりそうだ。
鶴川宿碑の向かい側にそびえている大木は水天宮の大ケヤキ


鶴川宿の町並み

牛頭(ごず)天王宮「鶴川宿の町並み」(左)はひなびた街道という表現がぴったりだが大正期の大火で建物の殆どを焼失してしまい古民家の類を見ることは出来ない。

宿場中程の鶴川神社「牛頭(ごず)天王宮」(右)と刻まれた石塔がある。江戸時代までは広く信仰されていたが今はほとんど目にすることが無い牛頭天王。ここではまだ信仰の対象だったようだ。

ところで、宿場の入り口では 至れり尽くせり であったが宿場内には本陣・脇本陣跡等の表示は無く拍子抜けの感が強い。 


大椚(おおくぬぎ)一里塚跡説明板

中央高速道町並みの先で道は二つに分かれる。左の坂道を上り小さな集落を通りながらうねうねと曲がる道を上って行く。見通しの悪い切り通しを抜けるとパッと目の前が開け「中央高速道」(左)が眩しく見える。旧甲州街道は残念ながらここまで。この先は少し先の中央高速横断橋で。

中央高速の上を通り 坂を上って行くと「大椚(おおくぬぎ)一里塚跡」(右)の説明板が建てられている。実際はもうちょっと手前にあった。 ここは日本橋から19番目の一里塚。


廿三夜塔

供養塔の間に道標一里塚跡から10分ほど歩くと「廿三夜塔」(左)が目に入った。二十三夜の夜、人々が集まり月の出を待って供物を供えたという二十三夜講。東海道では全く見なかったが与瀬宿辺りから目にするようになった石塔だ。

さらに先へ行くと「供養塔の間に道標」(右)が建てられており 大椚宿発祥の地 と記されている。甲州道中四十四次には無い宿場なので間の宿だったのだろう。


大椚観音堂大椚観音堂内には二体の仏像と木っ端仏

大椚集落の終わりにある吾妻神社の下に「大椚観音堂」(左)が建てられており「堂内には二体の仏像と木っ端仏」(右)が収められている。傍らの説明板によると千手観音菩薩座像と大日如来座像の2体。「漆塗りの上に金箔を施し」とある。重要文化財などというものではないが立派な仏様だ。

だらだらと上ってきた坂道もこの辺りで終わりとなるが、この先は中央高速道の為に旧甲州街道が ブツ切れ状態。


牛頭天王宮が有ったり、廿三夜塔が有ったりと今まで見ることがなかった江戸時代を見せてもらった鶴川宿であった。この先は中央高速を右に見ながら野田尻宿へと向かって行く。

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