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街道松 甲州街道 道中記 街道松
街道地図
(37) 石和宿    足湯につかって旅も快調
石和は温泉地というイメージが強いところであるが武田信玄の父信虎が躑躅ケ崎(つつじがさき)に城を築くまでは 石和が
武田氏の本拠地であり甲斐国の政治の中心地でもあった。
温泉地としての歴史は浅く、昭和36年
(1961)に温泉が湧出したところから始まっている。

平成18年12月11日

笛吹川聖牛笛吹川の堤を歩き笛吹橋を渡るといよいよ石和宿。

橋の上から「笛吹川」(左)を眺めると右岸の河川敷に丸太と蛇篭で作られた砲台のような物が転々と並んでいる。数年前の新聞で紹介されていた 「あれ」 ではないだろうか。

橋を渡り河川敷に下りてみたらやはりそうだった。笛吹川の氾濫に悩まされた武田信玄が色々考案した中の一つ、水流を和らげるという「聖牛」(右)が復元されたもの。
  


笛吹権三郎像球形道祖神土手上の道路に戻り500メートルほど歩くと右に下る道があるがここが旧甲州街道。下る途中に設置されているのが「笛吹権三郎像」(左)と由来碑。
「笛の名手だった権三郎という青年が母とひっそりと暮らしていた。有る年、洪水で母は行方不明に。笛を吹き母の面影を探していた権三郎もまた深みにはまり帰らぬ人に。その後も川から笛の音が聞こえた」という悲しい話である。

権三郎像の脇の道をしばらく歩くと 真新しい「球形道祖神」(右) に遭遇。今でも丸石信仰は息づいているようだ。  


住宅街の中を通る旧甲州街道を20分ほど歩くと国道に合流するが、この辺りから石和宿の中心地。

遠妙寺(おんみょうじ)仁王門本陣土蔵本陣跡碑

国道に合流して数分、街道右手は謡曲 鵜飼 の発祥地となった遠妙寺(おんみょうじ)。山門を入った先の「仁王門」(左)は寛政年間(1789〜1801)の再建だが、まだ完成ではないのだという。時間が許せば鵜飼堂の見学も良いだろう。

遠妙寺から数分、街道際に「石和本陣跡碑」(右)が建てられているが、建物はは明治13年(1880)の火災で焼失。「本陣土蔵」(右)だけが焼け残って保存されている。


色っぽいノボリ足湯甲州街道沿いの電柱に色っぽいノボリ」(左)がはためいている。「石和と言えば温泉」であるが歴史は浅く、昭和36年(1961)に果樹園の中から突如として温泉が湧出したことが始まり。

さすが湯量豊富な石和温泉。本陣跡の反対側、小林公園の一角に「足湯」(右)が設けられている。こんな所に足湯が有るとは嬉しいではないか。バス停の目の前なのですぐ分かる。もちろん歩き疲れた足を癒したが湯加減が丁度良いんだなー。


石和町民族文化財展示館川田道標足湯がある小林公園は戦後の影の財界総理、と言われたコバチューこと小林中(いたる)翁の旧邸宅跡。公園入り口の右側には翁の文庫倉が「石和町民族文化財展示館」(左)として残されている。

足も温まったし次の宿場へ向かわねば。街道に戻り甲運橋を渡ると街道際にひっそりと立っているのは万延元年(1860)に建立された「川田道標」(右)。よく見ると「右 富士山 大山 東京」と刻まれている。 えっ、東京! 後年、東京という文字を追加したようだ。

この先は 「原っぱ中の一本道」 というのは江戸時代の話。今は頻繁に車が行き交う街道を山崎三差路を目指してテクテク歩く。

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