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街道杉奥州街道 道中記街道杉

I白坂宿 街道地図
弘法大師が衣を濯ぎ、松尾芭蕉も休憩したという清水が今も滾々と湧き出ています
 白坂宿は戸数70余という小さな宿場であった。源義経を京都から奥州・藤原秀衡のもとまで送り届けた金売吉次の墓があることで
知られているが、今は往時の面影が感じられない静かな街道である。

 平成19年11月15日
 山間の国道を馬頭観音を見たり、座り地蔵を見たりしながら坂道を上っていくと頂上が下野国と奥羽国の国境。ここには国境を挟んで両側に「境の明神」と呼ばれる神社が鎮座している。

江戸時代の藩境を示す境界石下野玉津島神社国境手前の明神は「下野玉津島神社」(左)で旅人の安全を守る神として大切にされてきた。 祭神は天喜元年(1053)に紀州・和歌浦の玉津島神社から分霊勧請したとされている。

福島県・白河市の道路標識神社の先から奥羽国。頭上に「福島県・白河市」(右)の表示が。ついに福島県に足を踏み入れた。

道路右側のガケの上には江戸時代の藩境を示す「境界石」(右)も。

境の明神には玉津島明神(女神・衣通姫)と住吉明神(男神・中筒男命)が祀られている。女神は内(国内)を守り、男神は外(外的を防ぐ)を守るという信仰に基づくもので下野・奥羽ともに自らの側に玉津島明神を祀り反対側には住吉明神を祀るのだそうだ。

白河二所之関址碑衣がえの清水奥羽玉津島神社の向かい側階段上に「白河二所之関址碑」(左)が見られる。この関址碑は理学博士である岩田孝三氏が、ここに古関があったと指摘し碑を設置したもの。

この先は緩い下り坂が白坂宿まで続いているが 数分歩くと左側の道路下に「衣がえの清水」(右)なる湧水がある。 

「古くは弘法大師がこの清水で衣を濯ぎ、芭蕉も門人曾良と共に元禄2年(1689)、新暦6月7日白河入りし、境の明神参拝後この清水に立ち寄り休息したところ」  芭蕉さんもこの清水を飲んだのだろうか。

白坂宿の町並み観音寺夕日堂白坂宿に入ると「戊辰戦役大垣藩士戦死之所」と刻まれた墓が目に入った。戊辰戦争の傷跡がどこまでも続く奥州街道である。

「白坂宿の町並み」(左)も他の多くの宿場と同様、往時の面影は見られず山間の静かな街道風景となっている。しばらく歩いた先に見えたのは観音寺山門。

山門を入ると右手に「夕日堂」(右)が夕日に赤く染まっている。「夕日堂」と刻まれた石碑が建てられているが説明板などは無い。 しかし夕日に染まる「お堂」には何か有りそうな。

金売吉次3兄弟の墓金売吉次の墓の看板街道(国道294号)に戻り30分ほど歩くと道路際に「金売吉次の墓」(左)と記された大きな標柱が目に入る。左に曲り5分ほど歩くと「金売吉次3兄弟の墓」右)に行き着く。

源義経を奥州・藤原氏のもとまで送り届けたと云われる金売り吉次であるが、砂金の交易で奥州と京都を往来する途中ここで群盗に襲われ殺害されてしまう。これを里人が憐れみここに葬り供養したのだとか。

石塔が3基あり、中央が吉次、左が吉内、右が吉六の墓だそうだ。

ここから平成19年11月22日
東北新幹線・那須塩原駅では快晴だった天候が新白河駅に降り立ったら盛んに雪が降っている。こんな激しい雪の中を白河の女石追分まで歩けるのだろうか。出発地の白坂駅まで来たら雪はほぼ止んだのでほっとして出発。
座り地蔵白坂一里段の電柱表示雪の峠越え金売吉次の墓横を通り街道に出てちょっと歩くと「座り地蔵」(左)が鎮座している。「お地蔵様は村の入口や辻に立っているもの」と思っていたが、この辺では座っているのが当たり前。

5分ほど歩いた坂の頂上付近に一里塚があったはずだが今は痕跡が無い。「一里段」(左)と言う地名のみが一里塚があったことを教えてくれる。

この辺りから再び雪が降り始め次の峠付近では激しい降り。まさに「雪の峠越え」(右)となってしまった。
 

この峠を越えると白河宿がすぐだが、この分だと白河も雪の中になるかもしれない。

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