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街道杉奥州街道 道中記街道杉

B氏家宿前半 街道地図
 そうめん地蔵 ? おかしな名前の地蔵様だが、まさか「素麺地蔵」ではないよな
江戸時代、氏家宿に繁栄をもたらした阿久津河岸は大変な賑わいをみせていた。今は、当時賑わった神社がひっそりとたたずんでいる。
また氏家宿までの途中には氏家氏誕生の地である勝山城址も見られ、ひなびた街道歩きが出来る場所である。

 平成19年9月26日

鬼怒川(阿久津大橋から)与作稲荷神社かつて小鵜飼船が行き交い氏家宿に繁栄をもたらした「鬼怒川」(左)であったが、今は上流のダムの影響もあって水量が減り水運には程遠い状態。

鬼怒川に架かる阿久津大橋を渡り坂道を下って行くと丁字路に突き当るが、その奥が「与作稲荷神社」(右)。

鬼怒川で船を操る船人が詣でると奇瑞(目出度い前兆)が起こったという。そのため、爆発的な稲荷信仰が起き、大変な賑わいになったそうだ。が、水運が衰退すると、これも遠い昔話となってしまったのだとか。

浮島地蔵船玉神社与作稲荷から再び阿久津大橋の近くまで戻り、 手前を右に曲がると 1〜2分で「船玉神社」(左)に行かれる。

鬼怒川水運華やかな頃、船頭たちが水運の安全を願って祀ったのが船の御魂、船玉(魂)大明神である。今は静かな神社であるが、当時は参拝する船頭達で賑わったのだろう。

神社横をもう少し先へ歩くと「浮島地蔵」(右)の御堂がある。どんな洪水の時も流れず浮いてこの地に留まった石地蔵であるが、かつて、鬼怒川大洪水の時、浮きながらこの地に流れ着いた地蔵なのだとか。

高尾神社高尾神社の狛犬街道に戻らずそのまま進むと再び街道に合流。街道の向こう側、階段上の神社は「高尾神社」(左)。

説明板によると「人間の能力では自由にならないのが天候。それを支配するのが高尾神。雷神・龍神・水神などあるが、この神社は鬼怒川と関係深い水神信仰の神様」だそうだ。

ところで、街道を歩きながら様々な狛犬を見てきたが、高尾神社の「狛犬」(右)はちょっと可愛らしい。「狛犬」というよりは「柴犬」。尻尾を丸めた狛犬は初めてである。

彼岸花そうめん地蔵堂高尾神社横の街道を上って行くと頂上付近の右に将軍地蔵のお堂が見える。またの名を「そうめん地蔵」(左)。

説明板に面白い伝説が記載されている。
「室町時代の頃、日光山に修行にいった坊さんが山伏に素麺を無理やり食べさせられ気絶してしまった。別のお坊さんが来て日光中の素麺を食べつくしたので山伏は降参。この坊さんは将軍地蔵の姿でここへ帰ったので、以来、そうめん地蔵となったのだとか」

街道のあちこちで「彼岸花」(右)が真っ盛り。そうめん地蔵の境内にも彼岸花が。 

そうめん地蔵を出ると旧街道は右に曲がって行くのだが今は工場の敷地となっており道は無い。
現街道(旧国道4号)を進み、5〜6分先の「さくら市ミュージアム」を見学したのち、その奥の「勝山城址」まで足を伸ばすことに。

勝山城本丸大手口橋(復元)勝山城本丸跡 勝山城は宇都宮公頼が築城し「氏家」を名乗った氏家氏誕生の地である。残念ながら慶長2年(1597)、宇都宮氏が改易となり廃城となってしまった。

ミュージアム横を入ると「本丸大手口橋」(左)が堀を跨いでいる。この橋は発掘された根元柱を元に復元したもの。

橋を渡ると周囲を高さ4〜5mの土塁で囲われた「本丸跡」(左)の広場に行くことが出来る。

勝山城は鬼怒川を望む丘の上にあるため二ノ丸南郭からの「鬼怒川の眺め」(右下)が素晴らしい。その崖下辺りは釜が淵と呼ばれていたが、ここには二つの伝説が残されている。 

勝山城本丸跡からの鬼怒川の眺め 竜宮城伝説 : その昔、釜ヶ淵は竜宮城までつながっておったんだと。乙姫様は大変気だてがよく村人が願い事をすると何でも貸してくれたんだと。
ところが、ある人が100膳の茶碗を借りながら99膳しか返さなかったんだと。だから乙姫様は怒って釜が淵の入口を閉めてしまったのだとさ。


雪姫と紅葉姫 : 勝山のお城に器量よしの二人のお姫様がおったんだと。姉は色白なので雪姫と呼ばれ、妹はほっぺが赤いので紅葉姫と呼ばれていたんだと。ほの勝山城も周りから攻められ、みーんな討ち死にしてしまい二人の姫は「釜が淵」に身を投げたんだと。ずいぶん年がたった頃、白と赤の鯉が泳いでいたんだと。 
 (上記二つの伝説は説明板を要約したものです)

街道に戻り旧国道4号の信号を横断。100mほど歩くと左に入る道があるが、ここから再び旧奥州街道を歩くことが出来る。数分歩くと国道4号を横切って先へと街道は続くが大型トラックが行き交う国道の横断が怖い。

お伊勢の森道標  国道を横断して4〜5分、田圃の中に「お伊勢の森」(左)が見える。 伊勢神宮の内宮・外宮を勧請したものが祀られており、あたり一面が森であったことから お伊勢の森 と呼ばれるようになったそうだ。

この先の東北線 「旧奥州街道踏切」 を越え、しばらく歩くと丁字路に突き当たるがその右側に石塔群がある。

ここには享保以前の道標があったようだが今は真新しい道標や馬頭観音に代わっており地蔵様だけが当時の面影を残している。

突き当たりを左に曲がると氏家宿に入っていくが、この辺りが宿場の南端部分であった。

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