街道の旅へ戻る         


中原街道  道中記


中原街道は武蔵と相模を結ぶ街道として中世(鎌倉・室町時代)には成立していたが、その後、小田原北条氏が
本格的な整備を行い軍用道路として活用。
天正18年(1590)、 徳川家康の江戸入りに際しては東海道がまだ整備されていなかったため平塚からこの道を
利用して江戸入り。慶長元年(1596)、家康は平塚に中原御殿を設け、鷹狩や駿府との往来時に利用していた。
この中原御殿に由来して中原街道と呼ばれるようになった。東海道が整備されると大名行列などは東海道を
通るようになり主要街道から脇往還となったが生活道路としては結構な賑わいの街道であった。
当初の起点は江戸城桜田門であったが江戸城の拡張に伴い虎ノ門起点へと変わっている。三田、五反田を通り、
多摩川を渡って小杉から佐江戸を経て、瀬谷、寒川を通り相模川を渡り平塚の中原御殿へと至っている。
なお、中原街道は脇往還であったことから継立場は在ったが正規の宿場は無かった。

中原街道の旅
第1回 桜田門から五反田    第2回 五反田から丸子の渡し   第3回 丸子の渡しから中山 
第4回 中山から桜ヶ丘   第5回 桜ケ丘から寒川    最終回 寒川から中原御殿