 景観寺を出てしばらく歩くと広場の入口に「梶原伝七士の墓」と記された案内板があるので広場の奥へ。突き当りを右へ曲がった奥が「伝 梶原氏一族郎党の墓」(左)。正治2年(1200)、梶原氏一族郎党が上洛の途中、清見関(静岡・清水)で討ち死に。留守居役の家臣がここに弔ったと伝わっている。
西町集会所壁面の梶原景時解説板によると、平家に敗れた源頼朝を平家方の梶原景時が発見。だが討たずに救ったことが景時と頼朝の出会いで 後に頼朝の家臣となり一之宮を拝領。頼朝の死後、鎌倉を追放された景時は再起を期し上洛しようとしたが清見関で北条方の攻撃を受け討ち死に。後に里人が「景時の館跡」(右)に天満宮を創設。 |