(10)箱根 東坂
| 石畳の道を歩いていると江戸時代にタイムスリップだ |
街道地図 |
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「箱根の山は天下の剣・・・」と歌われた箱根越えにいよいよ挑戦。しかし今日1日で越えることは出来まい。
8里 32kmもあるのだから。しかも天下の剣。今日は江戸側の東坂を登り、次回は上方側の西坂を下るとするか。 |
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 出発は箱根湯本の三枚橋から。
箱根越えで「早雲寺」(左)を見過ごす分けにはいかない。天正18年(1590)、豊臣秀吉に滅ぼされた「北条氏五代の墓」(右)がある寺だ。( 早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直 ) 北条一門は全滅したわけではなく家系は存続しており、寛文12年(1672)に狭山北条家当主氏治によって北条五代の墓が ゆかりの早雲寺に竣工されたのであった。
早雲寺には他にも枯山水の庭や歌碑など見所が多いが、元徳2年(1330)鋳造の梵鐘は豊臣秀吉が小田原城攻めの際に石垣山で使用したもので神奈川県指定の重要文化財。
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 早雲寺から7〜8分歩くと正眼寺。鎌倉時代から室町時代にかけての地蔵信仰から生まれた寺で当時は地蔵信仰の霊地であった。本堂前の「石造大地蔵」(左)がその存在感を示している。
本堂裏の手入れされた坂を上り向かった先は建久4年(1193)に父の仇と工藤祐経を討ち取った蘇我五郎十郎を供養する「曽我堂」(左)。ここには兄弟地蔵と呼ばれる地蔵菩薩立像2体が祀られている。 |
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 正眼寺境内に「芭蕉句碑」(右)がありました。
山路来て なにやらゆかし 菫草(すみれそう) 芭蕉翁
野ざらし紀行の中の一句だが箱根の山道にもこの一句が似合いそうだ。
街道に戻り数分、右側の一段高い所に立つ石碑は江戸から22番目となる「湯本茶屋一里塚跡碑」(右)。石碑には東海道ではなく 「旧箱根街道一里塚跡の碑 江戸から二十二里」と刻まれている。
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 1〜2分歩き 石だたみ入口 と記された標柱に従って右に下りると!まさに箱根を象徴する「石畳道」(左)が 。江戸時代の旅人が歩いた石の上を歩いていると思うと感動だなー。石畳に入ってすぐの右側に見えたのは大きな四角い石。説明書きによると江戸時代の「馬の飲み水桶」(右)。馬もここで一休み。
ほどなく車道に戻り葛原坂を登って行くと道端に初花の瀑碑が。貞女の鏡と語り継がれた初花の名が付いた滝だが ここからは見えない。
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 しばらく歩くと鎖雲寺という寺院があるが、ここに「飯沼勝五郎・初花の墓」(左)がある。仇を捜して旅をするうちに病の身となった勝五郎。妻の初花は夜な夜な滝に討たれ病回復を祈ったとか。初花の一念が実り勝五郎は病が癒え
見事に仇討ちを果たしたと伝えられている。
鎖雲寺からすぐの所に「女転がし坂」(右)という色っぽい名前の坂があり石碑が建てられている。今は藪で通れないが、かなり急な坂だったようだ。一説によると「急な坂道で馬に乗ったご婦人が落馬、お亡くなりになった」 ことから 女転がし坂 と言われるようになったとか。かわいそうに、ナンマイダーナンマイダー。
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女転がし坂の先に割石坂入り口がある。曽我五郎が刀の切れ味を試そうと路傍の石を真っ二つに割った場所だそうな。
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 石畳道に入ってしばらく歩くと一旦車道に出るが すぐに 国指定史跡・箱根旧街道 の標柱がある道に入って行く。この上り坂を「大澤坂」(左)と呼び当時の石畳道が一番よく残っている場所。結構きつい坂で しかも苔むして滑りやすいが江戸時代を思い切り満喫できる道だ。
大澤坂を登り切ると畑宿の街並みに入るがここは間宿。「畑宿茗荷屋本陣跡」(右)がある。 箱根寄木細工で知られているがその歴史は古く、記録では小田原北条時代までさかのぼる。
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 畑宿から再び山中の道に入ると見えたのが江戸から23里目の「畑宿一里塚」(左)。発掘調査にもとづき復元したもので、東海道中唯一その形態を留めるものだそうだ。
石畳道を上り西海子坂を過ぎると一旦車道に出るのでしばらく車道を歩くと道中一番の難所と言われた「橿木(かしのき)坂」(右)。東海道名所日記の一文に 「樫の木の さかをこゆれば くるしくて どんぐりほどの 涙こぼれる」 とある。
ここから車道と分かれるが見上げるような階段。こりゃー厳しそう。50段ほど上ったらまた階段。いやー参った。結局270段ほどの階段であった。
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 上り切ったところが車道であるが、そのすぐ先が樫の木平という見晴らしの良い場所。ここに建てられた石碑に 「貴方は 今 歌っていますか 小澤征爾」(左)。
小澤征爾が何故ここに? 理由は見落とした。
この樫の木平に「見晴らし茶屋」(右)(甘酒茶屋ではない)があったのでここで昼食を。といってもすでに午後1時半。 山掛け蕎麦が旨かった〜。
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見晴らし茶屋から少し歩くと標識は無いが左に下る旧道がある。ここから またまた石畳道。甘酒橋を渡り猿滑坂を上って車道に出ると横断歩道。
その向こう側に、なんと、先ほどよりもキツイ階段が有るではないか。 |
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 やっと車道に戻ると追い打ちをかけるように追込坂の石標。いやーほんとに参ったが緩い上り坂だったので助かった。ほどなく旧街道資料館と「甘酒茶屋」(左)が見えたのでここで休憩。ここの甘酒は見過ごせない。なんてったて江戸時代から12代続く茶店だもの。
再び旧道に戻り 於玉坂・白水坂・天ケ石坂 を上るとやっと下りになる。下る途中に「箱根八里は馬でも越すが こすに越されぬ大井川」 の「馬子唄碑」右)があり、その先は権現坂を通って一気に芦ノ湖までの下り坂。
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 ついに芦ノ湖に到着。
旧東海道から国道1号に合流すると目の前の「箱根神社鳥居」(左)の朱色が眼にしみる。正月恒例の箱根駅伝で選手が駆け抜けるこの鳥居は平成5年(1993)に建て替えられたもの。国道を跨ぐ鳥居としては日本一の大きさだとか。
右へ曲がって鳥居を潜った先の左側は「賽の河原」(左)。ここは江戸時代に東海道を旅する人々の信仰を集めた場所。湖畔に多数の石仏や石塔が並んでいたが今はこの一角だけに。 |
 再び鳥居を潜って先へ進むと鎮座していたのが「身替わり地蔵」(右)。ある年、箱根を通りかかった梶原景季が暴漢に襲われたが地蔵尊が身替わりとなり命を助けられたのだという。
岐阜の三好様から「葭原久保一里塚跡」(右)の情報を頂きましたので追記します。
場所は身代わり地蔵から数分歩いた箱根杉並木の入り口です。この塚は日本橋から24里、塚の痕跡はありませんが当時は榎ではなく檀(まゆみ)が植えられていたそうです。
写真は岐阜の三好様から提供して頂きました。
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 一里塚跡のすぐ先から「箱根杉並木」(左)が恩賜箱根公園までの500mほど続く。元和4年(1618)に幕命により川越城主・松平正綱が植林したと伝えられている。以来400年近く、江戸時代の旅人が歩いた道をのんびり歩くことが出来る。
杉並木を出た先が箱根関所跡。到着してみると、なんと関所跡ではなく「関所の門」(右)が出迎えてくれた。平成19年(2007)完成を目指して関所の復元工事真っ最中。
コメント:現在は復元工事が完了し一般公開されています。一見の価値あり。
箱根は歩きがいがあった。とくに良かったのは石畳道を歩いて江戸時代を直接感じ取ることが出来たことである。江戸時代を写真や展示物で見ることは容易にできるが感じることができるのはここだけではないだろうか。次回はいよいよ相州・相模国から豆州・伊豆国へ国境越えだ。 |
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