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街道松 東海道五十三次道中記 街道松
(10)箱根宿西坂 「石畳の道」を満喫! し過ぎた。   街道地図
いよいよ相模国から伊豆国へ国境越え。
出発地は 箱根関所京口御門。芦ノ湖の向こうに見える富士山がきれいだ。

 平成17年12月9日

東坂最後の石畳道芦川の石仏群箱根関所を出て国道1号に入ったら500mほど歩き交差点向こうに毘沙門天の看板が見えたら右へ曲がり、さらに200m程歩いて左に入るといよいよ「東坂最後の石畳道」(左)。

その入り口に見えたのは「芦川の石仏群」(右)。もともとは芦川集落の駒形神社境内にあった石仏などをここへ移したと云われている。万治元年(1658)の庚申塔や巡礼供養塔などが斜面に並べられているが素朴さがなんとも味わい深い。


向坂冠木門と石畳道この先は坂の連続。まずは「向坂」(左)。次は国道1号の下を通る赤石坂で、この辺りは石畳道と杉並木が残っている。その先は釜石坂。この辺りも杉並木道。釜石坂を過ぎると石畳道となるがここは風越坂。ほどなく国道1号のガードレールと箱根旧街道の標柱が見えるがこの坂は挟石坂。ここには挟石坂と刻まれた石碑が建てられている

坂を上り切ると目の前が国道1号。ここで困った。この先に歩道が無い。エイっと車道を横切って国道を歩き頂上へ。箱根西坂への入り口は簡単な「冠木門と石畳道」(右)だった。  

新箱根八里記念碑(峠の地蔵)篠竹のトンネル門のすぐ先に三島青年会議所の働きかけで設置された「新箱根八里記念碑(峠の地蔵)」(左)がユーモラスな姿を見せてくれた。黒柳徹子・宮城まり子・橋田寿賀子ら八人の女性がそれぞれの言葉を揮毫、平成の地蔵様に添えられている。

下り最初の旧道入り口には三島11kmの道標や是より江戸二十五里と刻まれた石柱がある。旧道に入り井上靖揮毫による北斗欄干なる八里記念碑八ツ手観音などを見た後、「篠竹のトンネル」(右)を下って行く。薄暗い トンネル を下りながら、もしここで箱根名物?の雲助が「おいこら」と声を掛けてきたら。想像したら背中がゾー。  おー怖!


兜石木漏れ日の石畳道国道1号に合流後再び石畳道へ。入り口に接待茶屋の標識。ここは新田一里塚が有った場所。その先に「兜石」(左)がある。さきほど兜石跡なる石碑があったが実物がここに。豊臣秀吉が休息のおり、兜をこの石の上に置いたので兜石と呼ばれるようになったとか。でも本当は兜のような形だから兜石。さらに下ったところに念仏石が。
コメント:接待茶屋一里塚跡の説明版が設置されました。

その先の「石畳道」(右)は両側が雑木林なので木漏れ日が気持ち良〜い。


 雑木林の石畳道を出ると国道1号にニアミスして再び石畳道の大枯木坂へ。片側が開けた明るい道を下って行くと、なんと民家の庭先に。
 恐縮しながら歩き、国道1号へ。横断歩道を渡ってちょっと歩くと再び石畳道へ。 

雲助徳利の墓山中城本丸跡石畳道を下ると国道合流の直前に「雲助徳利の墓」(左)が。
この雲助さん、本名は松谷久四郎。西国大名の剣道指南役であったが大酒飲みのため酒でしくじり箱根の雲助に。もともと学があり剣の腕が立つので多くの雲助に慕われ、死後、徳利の付いた墓石を。

その先の阿弥陀堂跡の石碑を眺めて歩道橋を渡り「山中城本丸跡」(右)へ。
小田原北条氏の出城であったが豊臣秀吉軍に攻められ半日で落城。悲劇の城である。 公園として整備されているがとても広い。 本丸跡、矢立の杉、箱井戸跡などを見て先を急ぐ。


芭蕉句碑富士見平の富士山国道に出るとUターンする国道をショートカットするように旧道が下っていく。ほどなく芝切地蔵堂が階段の上に。芝切り地蔵にはこんな伝説が在ります。

ショートカットの道を歩き国道を横断すると再び石畳道。ここを下ると一旦国道に出るがまた石畳道となり下っていく。次に国道に合流したところが富士見平

富士見平では芭蕉さんの強がりの一句が「句碑」(左)に。
    霧しぐれ 富士をみぬ日ぞ 面白き   芭蕉
芭蕉さん、運が悪かったね〜富士山が見えなかったとは。私は見事な「富士山」(右)を眺めることができましたよ。


笹原一里塚大根干し芭蕉句碑からちょっと国道を上って横断し階段を下ると上長坂の石畳道となる。坂を下りきったところで竹篭を背負ったお婆さんが 「どこまで行きなさるね。最近はここを歩く人が多いよ。健康にもいいがね」

一旦国道に合流するがすぐに左へ入りまたまた石畳道。道祖神と馬頭観音がトタン葺きの祠の中に。さらに下って行くと左側の奥まった所に「笹原一里塚」(左)が片側でけ残っている。反対側に「大根がずらーと干されていた」(右)が、こんな風景が懐かしいんだなー。


こわめし坂の案内国道を横切って入った道が「こわめし坂」(左)。今は両側に家があり舗装された道であるがここはキツイ。上りだったらと思うとゾッとする。昔、この坂を米を背負って上って行くと汗と熱で「こわめしになった」と言われるほどのキツイ上り坂。 しかも下長坂と言われるほど長い。 

こわめし坂を下ると三ツ谷新田の集落に入り緩やかな下り坂となる。途中、松雲寺に寄り明治天皇腰腰掛石と樹齢300年という椿を見た後、しばらく歩いて小時雨坂、その先の大時雨坂(題目坂)を下っていくのだが、 この坂はこわめし坂よりもっとキツイ。が距離が短いので楽だ。


箱根路碑六地蔵市山新田の集落を歩いていると生け垣の中に赤い涎掛けの「お地蔵様」(左)が。六地蔵と記されているが十一体も。 

この先で再び旧道に入ると石畳道になるが、ここは臼転(うすころがし)。臼転がし坂を抜け塚原新田の集落に入り緩やかな坂を下ると国道1号に合流。合流点の三角地帯に「箱根路」(右)と刻まれた大きな石碑がある。


錦田一里塚松並木国道に合流すると久々の「松並木」(左)。 松並木の右側に初音ケ原石畳遊歩道が整備され松の木陰が気持ち良〜い。 ここの石畳は「平成の石畳」(平成2年建設)とでも言おうか。

しばらく歩くと「錦田一里塚」(右)の小山と大木が見えてくる。この一里塚は現存のもので、しかも左右一対で残っているという貴重なもの。当然のことながら国指定の史跡。箱根・畑宿の一里塚に感動したが ここの一里塚にも感動。


初音ケ原石畳の終わったところに箱根旧街道 の石碑があり、その近くに大根歌碑がある。この先は標識に従って右に入って愛宕坂を下り、東海道線の踏切を渡ってさらに今井坂を下る。
その先の新町橋を渡るといよいよ三島宿だ。 今回も石畳道を満喫したが西坂は長かった。下りでよかったー。

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