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街道松 東海道五十三次道中記 街道松

(9)小田原宿  小田原宿には本陣・問屋場は無かったの?   街道地図
小田原といえば かまぼこ・ういろう・小田原提灯そして小田原城。
小田原宿は箱根越えする旅人はもちろん、参勤交代の大名も多く宿泊した宿場。
そのため4軒もの本陣があり大変賑わっていた。

 平成17年11月28日

JR国府津駅前を出発したのがちょうど10時。これから小田原宿まで歩くのだが今日も良い天気だ。

勧堂跡碑菩提樹駅前の信号を渡って小田原方向へ10mほど歩くと塀と民家の間に見える石碑は「勧堂跡碑」(左)。ここは親鸞聖人の草庵があった場所で7年間住まわれていた。

次の信号で右に渡ると そこは親鸞聖人が命名したという真楽寺。 この寺には親鸞聖人が大石に指で名号を書いたという帰命石があるが、残念ながら帰命堂に収められているので見ることができない。代わり見たのが親鸞聖人お手植えと伝わる「菩提樹」(右)。


真楽寺を出たら次の信号(岡入口)で左側に移り500mほど歩くと歩道の端に説明版が建てられているが ここは日本橋から19番目となる小八幡一里塚があった場所。
19番目ということは約76km。京都まではまだまだ遠い。


五重塔酒匂川酒匂川手前の法船寺に小型の「五重塔」(左)があるというので立ち寄ってみた。ミニチュアという程ではないが「4トントラックと軽トラック」ぐらいの違いかな。かわいらしい五重塔だ。  

「酒匂川」(右)を渡ると上流側の土手に二宮金次郎にまつわる石碑が有るはずだが土手に下りる道が見つからない。ついに城東高校前の交差点に出てしまった。ここを右に曲がり さらに右に曲がって土手を目指すことに。


二宮金次郎表彰の地碑新田義貞公首塚酒匂川土手の上にあったのは「二宮金次郎表彰の地碑」(右)。銘によると、ここは小田原藩主大久保忠真が二宮金次郎など藩内の働き者13名を表彰した場所 。

城東高校前の交差点を横断して旧東海道を進むと突き当たりに「新田義貞公首塚」(右)の案内板がある。案内に従って住宅街を入って行くと小さな公園の一角に石碑が。ところで義貞公の首塚は全国に4箇所ある。それぞれに云われがあるのだが四つも首があったとは。


山王神社星月夜ノ井戸街道に戻り国道1号をしばらく歩き山王橋を渡った右手は「山王神社」(左)。神社の由緒書きによると、北条早雲(1456〜1519)の時代以前からの神社で天正18年(1590)の小田原の陣のときは徳川家康が日々参詣したという由緒ある神社。

境内にある「星月夜ノ井戸」(右)は昼間でも水面に星影が映るそうですよ。覗いて見たが、うーん、何も見えない。星影が見えた当時はこの神社を 星月夜の社 と呼んで名所になっていたのだとか。


江戸口見附跡小田原宿脇本陣跡山王神社から200mほど歩くと「江戸口見附跡」(左)。 ここは日本橋から20番目の山王原一里塚が有った場所で見附跡説明板に一里塚があったことが記されている。

さらに数分歩き新宿交差点を左に曲がって次に右へ曲がる道が旧東海道。旧道は約1kmほどで国道1号に合流。合流するちょっと手前の高齢者向けマンションはかつて古清水旅館があった場所。その「古清水旅館は江戸時代には脇本陣」(右)であった。それを示すレートが入口に設置されている。


小田原宿清水本陣跡・明治天皇行在所跡碑

松原神社その先が「清水本陣跡」(左)のはずだが見つからない。あきらめて国道手前の明治天皇行在所跡に入り説明板を読むと この場所が清水金左右衛門本陣の有った場所。小公園の奥にあったのは昭和15年(1940)に設置した明治天皇行在所跡碑。明治天皇が清水金左衛門本陣に宿泊したのは明治元年(1868)を始めとして5回ほど。

旧東海道の一本隣となる道で、明治天皇行在所跡の丁度対面にある 「松原神社」(左)は かつては小田原宿の 総鎮守で、この辺りは後北条時代から町の中心であった。


なりわい交流館明治天皇行在所跡国道に合流した所の黒い二階建ては「なりわい交流館」(左)。ここは江戸時代には旅籠であったが大正時代に漁網問屋として栄えた建物を改装したお休み処。ここでちょっと一休み。お茶の接待を受け、小田原宿の情報を仕入れ、疲れが取れたら再び出発だ。

数分先のマンション横にあったのは「明治天皇行在所跡」(右)。この場所は 片岡本陣跡で、明治11年(1878)に北陸・東海を御巡幸された明治天皇が片岡本陣に宿泊している。

小田原城銅(あかがね)門小田原城ここまで来たら小田原城を素通りするわけにはいかない。お堀端を歩き朱色の学橋を渡って城内へ。最初に目につくのは広場の左手にある「銅(あかがね)門)(左)。扉の飾り金具に銅を使用しているのでこの呼び名が。門というには立派すぎるが、やはり門だ。

常磐木門 を通って 「小田原城」(右)に入り天守閣から小田原藩の全貌を眺めると、海あり、山ありと正に絶景。 このほかに「大手門跡の鐘楼」「幸田門跡」「歴史見聞館」「北村透谷顕彰碑」など見所が沢山あるが時間が無い。


 小田原城を出た後、右手の坂道を下って二宮神社、二宮金次郎像を眺め三の丸小学校横に出た。ここに 御感の藤 という見事な藤棚がある。
 大正天皇が感嘆したというので御感の藤と名ずけられたが、春には見事な花が咲くことだろう。

外郎家の建物・八棟造り恵比寿様国道に戻ると また「お城」(左)が。ういろう を造り販売している外郎家の建物・八棟造りだ。大永3年(1523)に外郎家が建設した建物を再建したもので、棟の数が多いので八棟と呼ぶのだとか。

10数分ほど歩くと春日局が開基したという光円寺がありその前の交差点が板橋見附跡。交差点を右に入り10分ほど歩くと地元の人に板橋の地蔵さんと親しまれている宗福院地蔵堂。堂右手の直径1.5mほどの一木から彫られた「恵比寿様」(右)が見事。

 この先の箱根登山鉄道の踏切を渡り国道に出たら横断歩道を越えると、北条氏時代に作られた小田原用水取水口が目の前に見える。

風祭り地区の町並み小田原の道祖神高速道路の下まで来たら再度登山鉄道の踏切を渡り、その先の三叉路を左の道に入ると旧東海道。車が通らないのでノンビリと歩こうではないか。しばらく歩くと右側の奥まったところに「小田原の道祖神」(左)が鎮座。その奥が21番目の風祭一里塚跡

旧街道はどこもそうだが落ち着いたほっとする町並みが続く。「風祭り地区の町並み」(右)も場所によっては古民家が並び江戸時代にタイムスリップしたような。


紹太寺山崎古戦場跡碑さらに先に行き、左の坂を上ると稲葉氏一族などの墓がある「紹太寺」(左)。このお寺の本堂は茅葺き。真っ赤に染まったドウダンツツジの向こうに見える茅葺が絵になる。

この後一旦国道に合流するが再び旧道に入り7〜8分歩いて再度国道に合流。合流点に「山崎古戦場跡碑」(右)がひっそりと立っている。ここは慶応4年(1868)、幕府軍と官軍の先鋒小田原藩との間で激しい戦闘が行われた場所。


この先は箱根峠へ向かう三枚橋まで国道を歩くことになる。

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