駿河の3美人と言われた亀鶴姫。源頼朝に見初められるも応ぜず黄瀬川に身を沈む。時は建久4年(1193) 18歳の若さ。後に亀鶴潮音寺が建立され幾多を経て 残るは亀鶴姫の碑とその言い伝え。800年もの長い間語り伝えられるとは幸せな、いや悲しい話。
この先に従是西沼津領とだけ刻まれた「沼津藩領境榜示杭」(右)が設置されている。
平作地蔵から少し歩くと公園奥に小さな小さな日枝一里塚が。一里塚の手前に立っている高さ1mほどの石は「玉砥石」(右)。1200~1300年前に 玉を磨くために使ったということだが気が遠くなるほど昔の石だ。
川廓通りを出ると県道に合流。この先は城下町特有の曲がりくねった街道。合流したら左に曲がり御成橋通りを右に曲がる。次に銀行の先を左に曲がり、永大橋通りに出たら右に曲がるという複雑な道筋。御成橋通りから左に曲がる交差点際に沼津宿としるされ、上下に三島宿と原宿の方向を示した「道標」(右)があります。 コメント:沼津宿では本陣、脇本陣を探すことができませんでしたが、その後、沼津宿道標の先に本陣跡及び脇本陣跡の石碑が設置されました。
乗運寺は若山牧水の菩提寺。山門を入った右手の一段高いところにある墓石は「若山牧水之墓」(右)。千本浜公園には牧水の歌碑も有るというので ぜひ行かなければ。
松林の中にありました「若山牧水歌碑」(右)が。 幾山河 こえさりゆかば寂しさの はてなむ國ぞけふも旅ゆく 漂白の歌人 と言われた牧水さんですが沼津が大変気にいったようで この他にも沢山の歌碑があるが碑ばかり見ていると日が暮れるので松林を後に。
さらに10数分歩くと八幡神社の前に従是東と刻まれた「西側の榜示杭」(右)が建てられている。残念ながら沼津領と刻まれた下半分が明治時代に折られて無くなってしまったそうだが、ここから東が沼津藩領ということだ。 沼津藩領を抜けたので次に目指すは原宿。かなり長距離のてくてく旅になりそう。
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