(13) 原宿 擂り鉢の重みで曲がってしまった?松の木が松蔭寺の門前に。 街道地図 |
沼津藩領榜示杭の前を通って目指すは原宿。 そういえば東京にも原宿があったなー、竹下通りで有名な。
こちらは江戸から13番目の宿場。本陣が1軒だけという小さな宿場だが富士山が美しく見える場所として
街道一の折り紙付き。 |
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 沼津藩領傍示杭からかれこれ30分、「神明塚古墳」(左)の案内に従い路地を入るとと突き当たりの小高い丘の上に神社が。神社の左側に神明塚と刻まれた石碑がある。説明書きによると ここは前方後円墳で
その頂上に神社を造ってしまったという。昔の人は大胆だ。
コメント:神明塚古墳の手前に松永一里塚跡碑が設置されました。
さらに20分ほど歩くと神明神社入り口に2体の「賽(さい)の神」(右)が祀られている。これも村人がお守りしている道祖神。風雪に耐えお顔の凸凹が無くなっているが村人が大切にしているようだ。
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神明社入り口の横に原宿の東木戸(見付)跡を説明したプレートが石柱の上に設置されており いよいよ原宿に入ってきた。 |
 街道左奥の突き当たりに見えるのは「松蔭寺の擂り鉢松」(左)。その先、山門前の石塔は白隠禅師墓。その白隠が備前国池田候から拝領した擂り鉢を松に被せたところそのまま育ってしまった、といわれるのが門前の擂り鉢松。擂り鉢の重さに絶えかねて曲がってしまったようだな。
松蔭寺の少し先の右側にある「雲見浅間神社」(右)は、なんと社殿が温室?の中。過保護だのー。
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 雲見浅間神社の先、左側の植え込みの中に建てられた石碑は「白隠禅師誕生地碑」(左)。 コメント:現在は植込みが無くなり、広場の奥に設置されている。
「駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山に原の白隠」 と言われた白隠禅師は貞享2年(1685)にこの地で生まれ32歳で松蔭寺の住職となるが禅宗の教えを広めるため全国を駆け巡っている。
今日もついに夕暮れが近づいたのでJR原駅へ。この「原駅」(右)、瓦葺きの屋根に白壁という、ちょっと個性的な駅舎がなんとも魅力的。
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JR原駅から100mほど歩き旧東海道に出たら左に向かって歩くのだが八丁畷かと思えるぐらい真っ直ぐな道。家と家との間から富士山が見えるが意外と雪が少ない。 |
その後、西木戸跡碑と一本松一里塚跡碑が設置されました。 |
 30分ほど歩くと右側の浅間神社前にも「賽の神」(左)が。顔の凸凹が無くなっているので大変な昔のもののようだが、そのお姿はなんとなく心が和む。
右に富士山を見ながら さらに15分ほど歩き東海道線の踏切を渡ると、左手の一角に大妙乗典石経塔と刻まれた石塔と真新しい石版に植田新田開拓の由来を記した「石碑」(右)が建てられている。
この先から富士市。目指すは吉原宿。その前に藤沢では見られなかった左富士の見える場所を通過するのが楽しみだ。本当に富士山が左側に見えるのだろうか。 見ようによっては
なんてことないだろうな。
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