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街道松 東海道五十三次道中記 街道松
(31) 新居宿  遊び心で『宿場碑』を作ったんだって、粋だねー。   街道地図
浜名湖を渡し船で渡ると着いたところが新居関。 否が応でも関所を通らなければ京へ上れない仕組みとは憎いね。
関所を出るとすぐに新居宿。ここには3軒の本陣と25軒ほどの旅籠があった。江戸時代は渡し船であったが今は
弁天橋を渡り 中浜名橋、西浜名橋と橋を渡り継いで行く。

 平成18年3月2日
種田山頭火句碑船溜まり新居町駅前を過ぎて最初に出迎えてくれるのが「種田山頭火句碑」(左)。行乞の旅を続け、漂泊の詩人といわれた山頭火が2度目に遠州路を訪れた時に作った句
  水のまんなかの道がまっすぐ   山頭火 

山頭火句碑の先で国道1号と別れ真っ直ぐ入って行くと浜名橋に至るが、この辺りは沢山の小舟がもやっている「船溜まり」(右)。これがなんとも言えない良い雰囲気。小舟というところがいいんだよ。


新居関跡渡船場(復元)浜名橋を渡り200mほど歩くと「新居関跡」(左)に行き着く。慶長5年(1600)、徳川家康が新居の元屋敷に創設したのが始まりで今切関所と言われたが地震や津波で移転が繰り返され元禄14年(1701)に現在地となった。

舞坂宿から船に乗ると着いた場所が関所前の「渡船場」(右)。否が応でも関所を通らなければならないとは上手い仕組みにしたものだ。この渡船場は平成12年(2000)の発掘調査で見つかり復元したもの。


新居関所当時の様子を再現整備された関所跡には安政2年(1855)に建てられた「新居関所」(左)の建物が修復され関所資料館として一般公開。

内部には当時の様子が再現されている。悪評高き 改めばばあ(婆)も展示されているが、これが美人なんだ。ばばあ ではなく改め姉さんだな。美人の姉さんを写真に撮り損なってしまったのが残念。

旧旅籠・紀伊国屋弥五助本陣跡関所を出ると旅籠、本陣、一里塚跡などが続いており、それぞれに石碑が建てられている。関所の少し先左側は「旧旅籠・紀伊国屋」(左)。紀州出身の主人が江戸初期に新居に住み茶屋を営んだのが始まりといわれている。紀州藩の御用宿となってい「紀伊国屋」の屋号を掲げたのだとか。現在は資料館として一般公開されている。

「弥五助本陣」(右)には対馬、宇和島、今治など七十家が利用。また天保年間には年寄り、問屋役なども務めていた。

飯田武平衛本陣跡疋田八郎兵衛本陣跡「飯田本陣」(左)には小浜、桑名、岸和田など約七十家が利用していた。明治元年の天皇行幸の際は行在所となり、同年の環幸、翌年の再幸、11年の巡行の際も利用されている。

「八郎兵衛本陣」(右)には吉田藩のほか御三家など約百二十家が利用していた。また庄屋、年寄役なども務めていた。

寄馬跡新居一里塚跡助郷制度で付近の村々から集められた人馬のたまり場が「寄馬所」(左)と呼ばれていた。東海道では常に百人の人足と百疋の馬が用意されていたが参勤交代の宿泊が重なった場合などは助郷制度で近隣から多くの人馬が集められた。

寄馬跡から10分ほど歩くと 一里塚 と刻まれた石碑がひっそりと立っているが、ここは「新居一里塚跡」(右)。塚の痕跡は無いが、かつては左側の塚木は榎、右側には松が植えられていた。

棒鼻跡風炉の井その先の十字路を右に曲がると突き当りがカギ型に曲がっている。その手前が「棒鼻跡」(左)で石碑と説明板が建てられている。。道路の両側から土塁が突き出て道幅を狭くした場所で一度に大勢が通れないようになっていた。

カギ型を左に曲がり真っ直ぐ歩くと県道417号新居浜名線に合流。県道を右へ曲がった先の左側に「風炉の井」(右)が見える。源頼朝が上洛の折、この井戸水を茶の湯に用いたと言われているから約800年も前からある井戸だ。凄いナー800年も続いているとは。


風炉の井を見てすぐ先を右側に渡ると教恩寺の境内に樹齢450年以上という銀杏の大木が あるはずだが、無い! ここを訪れた方の紀行文を読むと「銀杏の大木がある」と記されているが、その後枯れてしまったようだ。

橋本宿碑旅籠があった辺りの町並み教恩寺前で県道と分かれ右に入るとまもなく疋田さん方の門前に「橋本宿碑」(左)が。 東海道さんさくマップ には記載されていない。ちょうど居合わせた方が疋田さんのご主人が「いやー遊び心で作ったんだよ。昔この辺に旅籠があったんでね」。遊び心で、粋だね。

その「旅籠があった辺りの町並み」(右)には今でも格子戸の家が何軒かある。蒲原宿で格子戸の家を見たときは懐かしいなーと感激したが、実はこの先の白須賀宿では当たり前のように並んでいる。


紅葉寺跡白須賀宿へ続く松並木橋本宿碑から7〜8分、右側の高台は「紅葉寺跡」(左)。室町幕府六代将軍足利義教公が永享4年(1432)の富士遊覧の途中、この寺に立ち寄って紅葉を賞したので 紅葉寺 。今は参道が残るのみ。

紅葉寺の前辺りから「松並木」(右)が続くが松並木の左側には田園風景が広がり、なかなか良い雰囲気が出ている。 もう少し風が弱ければ最高の旅が続けられるのだが。


藤原為家と阿仏尼の歌碑立場跡松並木の途中にある石碑は「藤原為家と阿仏尼の歌碑」(左)。
     風わたる 濱名の橋の 夕しほに   藤原為家
     わがためや 浪もたかしの浜ならん 袖の湊の浪はやすまで  阿仏尼

松並木の終わり近くの 「立場跡」(右) に石碑と説明板が建てられているが、説明板に面白いことが記されている。
立場では旅人を見ると湯茶を勧めたので、ある殿様が
   
立場立場と水飲め飲めと 鮒や金魚じゃあるまいに  
という戯歌を詠んだとか。

この先に明治天皇御野立所阯碑が左側に建てられているがそこを過ぎると いよいよ静岡県最後の宿場白須賀宿に入る。

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