尾張国入り口の境橋から鳴海宿までの間は見所が多いので 間の宿 ではあるが 有松宿 を設けた。
有松宿は五十三次の宿場ではなく 間の宿 であるが、特産品の有松絞りを郷土の土産にと きそって買い求める旅人が多かったことから大繁盛した宿場であった。 広重の「五十三次鳴海宿」はここ有松を描いたもので絵の中の店先に下がっている暖簾は有松絞り。
三河から尾張への第一歩が境川に架かる「境橋」(左)。この橋を渡るといよいよ尾州・尾張国。境橋は三河側は土橋、尾張側は木橋で出来た継ぎ橋として有名であった。 傍らの「烏丸光廣(藤原朝臣光廣卿)歌碑」(右)にちょっとばかり皮肉った歌が刻まれている。 うち渡す 尾張の国の 境橋 これやにかわの継ぎ目なるらん 光廣 膠(にかわ)と三河をかけたもの。
旧街道から国道1号に合流し5〜6分、今度は左側の道に入っていくのだが入り口に阿野一里塚と大きな表示が出ているので分かりやすい。 コメント:表示はその後 撤去されました。 旧街道に入ると道路両側に「阿野一里塚」(左)(右)が現存。 左右とも現存という貴重な一里塚で国指定史跡。
路地を入って10分、坂を上ると頂上に「戦人塚」(左)がある。この塚は桶狭間合戦の戦死者を埋葬供養した場所で国指定の史跡。地元の人が今でも供養に訪れているようだ。
回向に訪れる和尚の悲しみの気持ちが「歌碑」(右)に。 五月雨に 法の衣や志ほるらん しのふ昔の ミいくさのあと 善吉
街道に戻り10分ほど歩くと国道に合流。名鉄のガード下を通り高徳院の看板に従って左に入ると「桶狭間の合戦跡」(左)。一部が公園として整備されており様々の碑や説明板などが設置されている。
合戦跡を出て道路反対側の「高徳院」(左)境内に入ると入り口の右側に立つのは「今川義元公本陣跡碑」(左)。 境内の左手には様々の石塔があるが、その中に「芭蕉句碑」(右)が。 あかあかと 日は津礼那くも(つれなくも) 秋の風 芭蕉
程なく見えた縦に細長い建物は「有松山車会館」(右)。 有松に3台あるという山車の1台を展示。6mほどの高さであるが「からくり人形」(右)だということで感心していると、なんと愛知県には からくり山車が100台以上あるのだとか。
山車会館の少し先左側の建物は「有松・絞り会館」(左)。女性の旅行者には避けて通れない会館だろう。覗いたら沢山の女性が品定め中。ご主人への土産だろうか。それとも自分用だろうか。たぶん自分用だろうな。 2階で絞りの実演と有松絞りの製作工程をビデオで見せているので時間に余裕があれば見るのもよさそう。
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