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街道松 東海道五十三次道中記 街道松
(48)坂下宿  江戸時代との落差が大きすぎる坂下宿でした   街道地図
坂下宿は鈴鹿峠の麓にあり 往時は戸数300余り、本陣3軒、脇本陣1軒と大変賑わった宿場であった。
しかし、明治以降は東海道線の開通など交通形態が大きく変わったことから宿場としての機能が失われ、
今では数十軒の民家と茶畑だけの静かな山間の集落に変わってしまった。

 平成18年5月12日

常夜灯坂下市瀬一里塚跡碑関宿の西の追分けを出て国道1号を十数分歩き鈴鹿川の手前で右に入ると市瀬集落

集落の出口まで来ると荒削りの「常夜灯」(左)に出会える。山間の田園と常夜灯の構図がなんとも言えず絶妙。この先で国道を横断すると同じような常夜灯がもう1基。 

2基目の常夜灯の先から再び国道1号に合流。右側に渡り しばらく歩くと細くなった鈴鹿川が国道の下を横切るが、その先、国道左側の斜面の上に無造作に立っているのは「坂下市瀬一里塚跡碑」(右)。


東海道五十三次標柱一里塚跡碑の少し先で右へ曲がると再び旧東海道の静かな集落に入る。30分ほど歩くと鈴鹿馬子唄会館前に到着。「日本橋と書かれた太ーい柱」(左)が立っており、その次は品川 川崎 神奈川・・・三条大橋まで続く。その横が馬子唄会館なのでちょっと見学と休憩を。

馬子唄会館を出て階段を上ると目の前が「旧坂下小学校」(右)。
いやー懐かしい。昭和30年代(1955〜)の小学校風景だ。かつては子供達で賑やかだったのだろう。


松屋本陣跡碑大竹屋本陣跡碑梅屋本陣跡碑小竹屋脇本陣跡碑山の中にしては広い道をさらに20分近く歩くと坂下の集落に到着。集落の中程にバスの発着場(終点)があり小さなバスが午前中4本、午後3本運行されているという山間の静かな里。

バス発着場のかたわらに立っているのは「松屋本陣跡碑」。 ちょっと歩くと「大竹屋本陣跡碑」、その先に「梅屋本陣跡碑」、さらにその先の右側に「小竹屋脇本陣跡碑」と本陣跡碑が続く。


法安寺山門本陣大竹屋跡梅屋本陣跡碑対面の法安寺山門」(左)は松本本陣の門を移築。それはそれは立派な門だが、このような立派な門構えの本陣が3軒もあったとは信じられないほど今は静かな里に。   

「本陣大竹屋跡」(右)は右写真のごとく見渡す限りの茶畑に変わっている。「本当にここが本陣・脇本陣が4軒もあった宿場なの」と聞きたくなってしまうほど江戸時代との落差が大きい。


 ここから平成18年5月24日
午前中の最後のバスに乗って坂下宿に到着。今日は鈴鹿峠越えだ。

岩屋十一面観音菩薩碑片山神社本陣跡碑の前を通って6〜7分歩くと国道1号に合流するが、その合流点に「岩屋十一面観音菩薩碑」(左)がある。
碑の後ろに祀られているのは阿弥陀如来、十一面観音菩薩、延命地蔵。

しばらく国道1号に沿って歩き片山神社と刻まれた石柱が見えたら右の道へ。杉林の中を進むと「片山神社」(右)に行き着くが今は社殿が見あたらずちょっと荒れ果てた感じ。
旧東海道は神社の右を回り込む上り坂で、途中から石畳の道だ。
 コメント:片山神社へ行く途中に「坂下宿〜鈴鹿峠の説明板」が設置されました。


芭蕉句碑鈴鹿峠頂上国道の高架下を上ると休憩所であるが、さらにその左脇の道を上ると ありました「芭蕉句碑」(左)が。
  ほっしんの 初(はじめ)にこゆる 鈴鹿山   芭蕉
この山道を登りながら新境地を切り開く思いを詠ったもの。芭蕉さんは偉いナー、いつも新境地にチャレンジとは。

杉木立の中のつづら折りの道を登って行くと、あっという間に「頂上」(右)に到着。東の箱根、西の鈴鹿と言ったではないか。途中の説明板にも 「険しい峠道は・・・・」 と書いてあったではないか。
まさかここが頂上ではないでしょ? えっ、ここが頂上!


田村神社跡鏡岩鈴鹿峠の頂上(旧東海道の頂上)は杉木立の中で全く見通しが悪い。木製の行き先表示に「田村神社跡」(左)10m、鏡岩150mとある。ちょっと寄り道を。江戸時代には ここに坂上田村麿呂を祀った田村神社や茶店があったが今は見渡す限りの杉林。

杉林の中を歩き「鏡岩」(右)まで行ってみた。今はごつごつした岩。伝説では山賊が鏡岩に映る旅人を襲撃していた ということだが。実は馬子唄会館で鏡岩にまつわる面白い伝説を聞いたのだが、うーん、思い出せない。どなたか覚えていますか。  追記:坂下宿でお会いした佐藤さんから鈴鹿御前という伝説をメールしてもらいました。最下段に記しましたのでご覧ください。


三重県と滋賀県の県境県境石柱峠道に戻り杉林の中を数分歩くと、突然開けた場所が出現。

「三重県と滋賀県の県境」(左)で「県境石柱」(左)が建てられており次のように刻まれている。
これより京まで十七里  界  左三重県伊勢の国 右 滋賀県近江の国 と。


茶畑の中の旧東海道近江の国は見渡す限りの茶畑で始まった。余りの変化に一瞬戸惑いを感じる。牧ノ原台地(金谷宿)を歩いているときは深緑の茶畑であったが、やはり黄緑の茶畑が良い。

この辺りの道は舗装されておらず両側は茶畑。電柱が無ければ「江戸時代の東海道を歩いている」そんな雰囲気にもなれそうな道。この先は緩い下り坂。馬子唄にも唄われている「あいの土山」は・・・・・まだまだ先だ。


  鈴鹿御前伝説
鈴鹿山に住む鬼姫は第四天魔王の娘で、実は坂上田村麿呂の妻だという。元々は大嶽丸に嫁入りするため日本を訪れていたのだが、なんと自分を退治しにきた坂上田村麿呂に惚れてしまい、ついにその妻になってしまったのだそうだ。 坂上田村麿呂さん、鬼姫の妖術に負けてしまったようですな。

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